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小津久足の「陸奥紀行」

◎地域の方々とやっている紀行文を読む会で、前回から、小津久足の「陸奥日記」を読みはじめました。
私は以前にも読んでいますが、中公新書「江戸の紀行文」で、江戸時代を代表する名作と言ってのけた責任もあり(笑)、もう一度じっくり読んでみたくて。

北窓主人さんの翻刻もありますので、それを皆さんには参照してもらいながら原文を変体仮名で読んで行きます。

でも、前回、冒頭を読んだ時点で思わず「わあ、何という、いやなやつ」と思ってしまったのですがね、久足。
いや、一見どうって話ではないのですが、書き出しが、まあ、ざっと現代語訳しますと、

儒教では修身斉家を心がけると、人は幸福になれると説くが、私はそれは得意ではない。でもどうしてか不思議に幸福にめぐまれて(私もかなり悪意をこめて訳しているかもしれませんが)衣食住には不自由しないし、(そりゃそうでしょう。伊勢の大きな商家の主人で経営の苦労もなかったらしいし、)別に出世の望みもないから、(そんな境遇だったらそりゃ出世する必要もないだろうよ、)特に欲望はないのだが、たった一つの欲望は旅をしていい景色を見たいなということだ。
だから去年は和歌山の熊野から若狭の天橋立まで見物して遊覧して、本当に私は恵まれているというしかないなあ。(いや~しかし、何で読んでいてこんなにムカつくんだろうか。)しかし、人間の欲望はかなえられると次々にわいてくるもので、今度は東北の松島がもうどうしようもなく見たくなった。今年の春、江戸に来たついでに、いっそ行ってしまおうと思い立ったわけだが、江戸に来たのは店の仕事の関係だったから、私の住む伊勢から東北までの長い道のりを仕事の旅で半分もう来てしまったのは、実に運がよかったことだ。(そうかいそうかい。よかったねえ。)

いや、私も「江戸の紀行文」で、松尾芭蕉がわりと自由に旅ができる時代に、そんなに不幸でもない環境にいながら、わざわざ中世の連歌師みたいな不幸で孤独なふりをして書くイヤらしさを指摘はしましたが、まあその対極のような、この臆面もなくいけしゃあしゃあと、「私めぐまれてまして、幸せで、何もかもうまく行くもんですから、何でかなあもう」みたいなノリというのも、大胆といおうか、勇敢といおうか、天を恐れずといおうか、頭が下がって脱力して笑ってしまいます。

更に、出発にあたって、

連れがいるのも何かとじゃまなものだし、まあそもそも連れて行ったら楽しいだろうと思うような人も別にいないから、荷物持ちの下男だけ連れて、滞在していた家を出た。

と書いているのも、何だかさりげなく、ムカつきませんか?
「同行者がいたら何かとうるさい」「どっちみち、連れにいいような人もいない」・・・さらっと言うかね、こういうこと。なかなか言えないですよ、ふつう。
この人、本心を言うのに人に気をつかわなくていい人生なんだなあ、としみじみ思いますね。強がりでもなく、屈折もなく、心のままをしれっと、すらっと言ってのける。自分の恵まれた環境に対する、ひけめなんかも全然ない。
い、いやなやつだなあ。でも、ものすごくサワヤカでもあるよなあ。どうしてくれよう。

などと私がもだえているのを、メンバーの皆さんはふしぎそうに見ていました。
北窓主人さん、わかってくれますよねえ?(笑)

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カツジ猫