小津久足の記事
もっとずっと早くに書きたかったんだけど、暑さやなんかでバテてたもんで。
母校の近世文学の人たちが中心の「雅俗の会」が出してる「雅俗」の雑誌が来た。同じころ、日本近世文学会から「近世文藝」114号も来た。後者には、オンラインで開催されたシンポジウム「つながる喜び」の内容が紹介されてて、発表者の一人の菱岡憲司氏が、小津桂窓(久足)の書簡について述べていた。同氏は「雅俗」でも久足について書いている。
菱岡氏はずっと久足について、精力的に研究していて、本も次々出していて、それを利用した研究発表をする人もいて、こうやって久足が有名になって行くのが、とてもうれしい。
まあ、もともと瀧澤馬琴の友人で、大変な蔵書家という点では有名な人物だったのだけど、久足自身の文学者としての功績、その人柄や哲学の面白さという点で、注目され始めたのは、やはり最近の新しい傾向と言っていい。
彼をそうやって江戸文学の、わりと表舞台に引っ張り出したきっかけの一つに、「江戸紀行の最高の最終的な到達点」として彼の作品を位置づけた、私の指摘もあったのだと思うと、ささやかながら満足だ。
小津家のご子孫は、久足の資料を大切に保存し、先祖として誇りにされてもいた。それが、菱岡氏によって、学界に紹介されて行くことも思うと、幸せな気持ちになる。
久足は、きっと喜んでいるだろう。幸福な人だと思う。実際に、それに値する人でもある。
彼は私の江戸紀行の研究が、必然的に到達して、見いだされた存在だった。その自然で、幸福で、どういうか、うしろめたいところの少しもない成り行きが、なおのこと、私をしこたま幸福にする。