小説「テロル」感想(おしまい)。
(続けます。)
◇アミーンを心配してずっと支えようとするイスラエルの友人キムは、シヘムは洗脳されて別人になり、自分の生き方を貫いたのだから、もう気にしてはいけないみたいにアミーンに言う。
親戚の若者や、パレスチナの指導者たちは、シヘムはアミーンとの暮らしは偽りで耐えられなかった、自分の民族としての誇りを忘れられなかったと言う。
立場や見方のちがいはあっても、両者の言ってることは同じですよね。アミーンはそれらの意見をある程度受け入れてはいるけど、完全に納得してる風でもない。
それでいいんだと思います。だって、これらの見解は多分まちがってる。私はシヘムは、もっと揺れてたと思うし、アミーンや彼との暮らしを愛してたと思う。彼女は楽しそうだった、幸福そうだった、とアミーンがやたらにくり返すからかえって嘘っぽく聞こえるけど、私はアミーンの見ていた通りだったと思う。
だからこそ、シヘムは苦しんで、にっちもさっちも行かなくなったんじゃないのか。そうとしか思えない。
◇私だって、今のささやかな美しい生活が、どこか夢のような気がしたり、わけもなくこれでいいのかと思ったり、虚しくなったり不安になったりする。これで自分が九条の会とか、それなりの社会的政治的活動をしてなかったら、もっと虚しくて不安だと思う。
比べるには差が大きすぎるけど、シヘムも夫との満ち足りた贅沢な生活に、虚しさや不安や罪悪感を抱くことはあっただろう。それが親戚の青年の反社会的活動への協力となるのもわかるし、自分の立場や地位を利用して、次第にぬきさしならぬまでの関係になって行くのもわかる。
何も気づかない夫との生活との落差が大きくなり、隠しごまかす部分が増えて行くにつれて、引き裂かれる苦しみも大きくなって行ったのではないか。
その場合、夫や今の生活を捨てて一人になるとか、夫に打ち明けないまでも少しずつ夫を洗脳して同じ思想を抱く仲間にして行くとかいう方法もあったはずだ。
だが、離婚や家を出ることは、むしろ組織の方が許さなかっただろうし、彼女自身も耐えられなかったのではないか。
次第に夫を説得して、自分と同じ思想を持ってもらうようにするのは、彼女自身にそれほどまだ確信や信念がない上に、ひょっとしたら彼女は夫には、このままでいてほしかったのではないだろうか。夫を自分と同じ生き方に引きずりこむのは申し訳ない、耐え難いという思いも含めて。
◇せめてキムは、その可能性をアミーンに示唆するべきだった。
一方でマルワン師は、「本当に厳しい戦いと犠牲を払うことから、あなたは逃げている。このまま二重生活を続け、夫を裏切る苦しみを耐え続けることが、あなたには求められている」とか指摘するべきだった。そうすれば、秘密の会議場所や銀行口座も、ひょっとしたら失わないでもすんだだろうに。
これは、勇敢な闘士が使命感に燃えて行った自爆テロなんかじゃない。
二つの世界に引き裂かれ、どちらも愛した女性が、どちらにも理解してもらえず、どちらも裏切り続けている苦しみに終止符を打とうとして、誰にも自分の本心を知られないようにして行った自殺だ。
だからって、悲惨さには変わりがないが、シヘムが組織や指導者もだまして出し抜いているという点では、私はこの方がよっぽど救いがある。
アミーンにとっても多分、この方が苦しいなりに救われるだろう。むしろ、漠然とでも、事実はこうであることを彼は理解しているだろう。(終わり)