小説「テロル」感想(後半その2)
(続きます。そんでもう、壮絶にネタばれしてます。)
◇この奥さん、シヘムの気持ちがわからんのは、最後まで夫のアミーンを、めちゃくちゃ愛してるんですよ、それはもう、まちがいなく。
自爆テロに向かう前に、ノートの切れっ端に走り書きした手紙で「こうしなくてはならないけど、私を許して」みたいなことを書いてよこしてるし、出かける前の晩には、夫の好きなものばかりでごちそう作って、「あなたをおいて行くのがつらい」と言って、アミーンが「三日で帰るのに?」と言うと「私には永遠なの」とか答えて、その夜は激しく愛しあったというのだから、どう考えてもご主人のこと愛しまくってる。
その気持ちには絶対嘘偽りはなかったはずで、だからこそアミーンも、シヘムが今の生活に不満を抱いたり疑問を感じたりしていることを、予想さえできなかったのだろう。つまりシヘムは、アミーンを、あえて言うなら、彼との生活すべてをも、多分決して憎んだり完全に否定はしていなかったのだろう。
否定できてはいなかったというべきなのかな。
◇小学生の子どもたちが誕生祝いの会をしてるレストランで、腹にダイナマイトまきつけて妊婦のふりして自爆して、子どもたちを含めて二十人近くを死なせ、何十人も負傷させた、もちろん自分もバラバラになった(なぜか顔だけはきれいに残って、安らかな表情をしていた)シヘムは、多分日本人の多くが読んでも「わからん」「ひどい」と感じるだろうし、イスラエルの人にとっては悪魔そのものだ。だからアミーンまでリンチされる。
でも一方で、エルサレムとかのアラブ人の住む地域では、シヘムは死後すぐに、もう聖女になっていて、庶民から指導者までの多くの人から、足の先にくちづけされるのにふさわしい女性だと賞賛され敬愛されている。
アミーンの気持ちを思うと私はこれを聞くのが、どういうか、もうやりきれない。
愛する者が、自分には理解できない集団の崇拝の対象になっている、無気味さ、おぞましさ、汚らわしさ、そして悲しみ。何という屈辱、孤独、絶望だろう。わかりすぎて本当につらい。彼女が悪魔扱いされて自分がリンチされる方が、まだしも、よっぽど耐えられる。
◇親戚の若者がようやく教えてくれたことによると、彼がアミーン夫妻の家に遊びに来て泊まっているとき、ピストルや秘密の書類の入ったカバンをシヘムに見られてしまい、せっぱつまって彼女を殺そうかとまで思いつめていたら、彼女が部屋に入ってきて、活動資金をカンパしてくれ、それから次第に協力をしてくれるようになったのだそうだ。
「彼女が自爆するのはいやだった。自分たちは皆反対した。生きていてくれる方が自分たちのためには助かるのだと説得した。彼女は屋敷を自分たちの会合に使わせてくれ、銀行口座を資金の授受に使わせてくれ、その他彼女の地位や立場でしかできない、いろんなことをしてくれていて、我々の活動の要だったから。
でも彼女の決心は変わらなかった。自分はパレスチナ人で、自分のやるべきことを他の人にやらせるわけには行かないと言った。指導者のマルワン師でさえ、彼女の考えを変えられなかった」(私がまとめたので、原文通りじゃないです。)
親戚の若者は、アミーンにそう打ち明ける。これほどの情熱的で献身的で、狂信的でさえある女性と、アミーンを最後まで心から愛する妻の像を、どう一致させればいいのだろう。
だからこそ、最初読んだときに、私はこの一番肝心な妻の人間像がさっぱり描けていないと思った。理想的な妻と、理想的な革命家。どちらも型どおりの描写に過ぎず、通り一遍の美化されたイメージにすぎず、徹底的に一致しない。与えられる情報が、一個の人間として実像を結ばない。
◇指導者も仲間も、自爆に反対した。そりゃそうだろうと私にもわかる。言っちゃ何だが爆弾かかえてレストラン吹き飛ばすのなんか、シヘムでなくてもできる(我ながら何という言い方だ)。彼女には生きていてもらった方が、テロ組織にとっては、ずっと利用価値がある。彼女だって、本当に組織やパレスチナの役に立ちたいと思うなら、そうすべきだとわかるはずだ。
だのに、自爆の道を選んだ。カリスマ指導者でさえ、彼女を説得できなかった。
◇アミーンは最後まで気づいてないようだし、指導者マルワン師も気づかなかったか知らないが、私の考えではシヘムの自爆は、自殺である。
いや、そりゃ自爆は自殺ですが、つまり目的は自爆ではなく自殺である。自爆に見せかけた自殺と言ってもいい。その点では殺された被害者はもちろんだが、マルワン師もパレスチナも、シヘムに利用されコケにされている。ひどい話かもしれないが、シヘムにとってはそれだけ深刻だったから、しかたがないのである。
ええい、もうちょっとなのだが、夜中過ぎたし、一休みするか。