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小説「テロル」感想(後半その1)

◇だいたい私ももう年取ったから、今ではどうでもいいけど、若い時は絶対に自覚もしていた困った趣味嗜好があって、それは、私を見つめて私を大事にして自分を捧げてくれる相手は基本的にどーでもよくて、どこか遠くを見て、理想とか信仰とか思想信条とか、カジキマグロとかチョモランマとか、何でもいいけど、何かにあこがれて自分を捧げて行ってしまう人というのが、もうどうしようもなく好きだった。そういう人でないと、今風に言うと、まったく「萌え」も「燃え」も感じなかった。

◇あーえー、ちょっと日曜の夜だし、どうでもいい長い横道の脇道の無駄話をするとだね、ここでちょっとまちがえてほしくないのは、私はそうは言っても、私をひたと見つめて、私を好きだ大事だと言って、下手すりゃ近づく他の人を追い払いまでしかねない人は、まあそれはそれで、しかたないと思うから、粗末にはしないし、大事にするし、その気持ちは傷つけないようにする。

だけど、カジキマグロとか神様とか古切手とか、そういう私とちがう次元のものに入れあげて夢中になるのではなく、私と大して程度が変わらない別の存在や、自分自身のことを、わりとつまらないことで、ちょろっと私より優先して、そっちもこっちもつなぎとめとこうみたいな態度を取る人がたまーにいて、これは私は願い下げである。

おまえ何様だと言われそうだが、とにかく、別に私を特別扱いや崇拝やしてほしくはないし、してくれなくっても全然こちらはかまわないのだが、何かこう、自分は私にとって特別な存在だし、そうなりたいという、やる気まんまんを見せておきながら、ほんとにどーでもいいことで、ちらっと自分の都合を優先し、他の誰かとのつきあいを優先する。

この手抜きと適当さが、私はうんざりする。私相手でも何相手でも、やるからには手を抜くなや。その程度の気持なら、私に特別扱いされたり、私を崇拝したりすることなんか、はじめから望むなや。エントリーせんどけ、おたがいの幸福のために。

私なんか、母でも猫でも男でも女でも、この人を大事にする責任を持つと決めたら、常に絶対最優先したぞ。誰かと誰かがぶつかる時には順序を決めて、それを動かさなかったぞ。時には、そのことをきちんと相手に伝えたぞ。ちゃかちゃかその場で適当に、両方かけもち、ふたまたやって、自分がそれでも愛される魅力があるか、両方ごまかせる器用さと体力と能力と知力と器があるかどうか、いっぺん鏡見て(美醜とかだけじゃなく)自分とじっくり相談してからにせい。私と世の中なめるんじゃないわい。

もしかしてひょっとして、私が、そういうのになれてない人だったら、そこでペース崩されて足元すくわれて、自分が一番と思ってたのに、そうじゃなかったのかとか動揺して、逆にその相手にとっての一番になろうとあせったりし始めるんだろうね。そこで、立場を逆転させて、崇拝してた相手から崇拝されるようになるのを無意識にでもねらってるのかもしれないけど、どっちにしたって、私にそれやるのは、10億光年早いすよ、いやほんと。

◇ええと、んなことはどうでもよくて、要するに私は理想に燃えて自爆テロをするような人とか、出家して高野山に登っちゃう人とかに、弱いんですよ純然と。
どういうか、そうやって、とても自分がかなわない、偉大な存在の方に行っちゃう人から、おいて行かれる状況が、怖くて悲しくてやりきれなくて、もう死にそうに切なくて、多分それが私の中で「愛」という気持ちに一番近いんですよ。

だからですねえ、この「テロル」の、おいてかれたご主人、アミーンの気持ちというのは、もう考えただけで、やりきれなくて死にそうになる。
まあ私の子どものころや若いころ、おいてかれる人は「ピエタ」像のマリアに代表されるように、普通は女の方だった。男がおいてかれるケースって、私の中ではあまり想定したことなくて、だからそこもちょっと混乱した。
まあね、私が政治や社会や宗教に関心持って、いつも自分が殉じられる、捧げられる理想や思想を一応は持っておこうとしたのも、おいてかれる前に自分がおいてってやるという予防策でもあった気はするんだけど。この奥さんがそうとはとても思えないし。そうする必要もなかったわけだし。

自分を深く愛していたはずなのに、自分以外の何かに身を捧げて去っていく、その何かが自分にはどうしても理解できないという、その情けなさ、恥ずかしさ。それだけは私は味わいたくなかった。同じように、その何かを理解して愛するか、それがだめなら、せめて敵になって憎むか。どちらもできないままに、失った相手の死を悼み、涙を流すなんて、みじめすぎて絶対にいやだった。

◇だから、この夫の、アミーンの気持ちは完璧すぎるほどわかった。わかりすぎて辛くて、途中で何度も腹がたった。変わらず心配してくれるイスラエルの友人たちもいるし、財産も地位もある。だからもう、妻のことは忘れて、記憶にふたをして、海外にでも移住して暮せばいいとか、妻に関して得た情報を全部イスラエルの警察に渡して、テロ組織を壊滅させちまえとか、あらぬことをいろいろ考えた。

でも、そうしたら、どっちの場合でもアミーンは決して立ち直れなかったし、幸せにはなれなかったし、下手すりゃ廃人になったろうなとも思う。やっぱり、この小説のようにするしかなかった、それが一番賢明だったと、あらためて今は理解する。

あー、お風呂がわいてしまったので、ここで中断ね(笑)。

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カツジ猫