小説ってふしぎ
やっぱし、あんまり気がとがめて、『エミリの小さな包丁』を最初から読み直しました。インド人の恋人の影が消えてよかったわ(笑)。読み直している内に、これは以前に私が読んで大嫌いだった『虹の岬の喫茶店』と同じ作者なのねと気がついた。まあ、『虹の岬』だって、どういうか紙一重で嫌いだったのだけれどね。『包丁』はまあまあがまんできたかな。甘いというか薄いというか、油断すると、けっと拒絶反応が起こりそうで恐いのだけど。
一方、ネレ・ノイハウスの『白雪姫には死んでもらう』は、読み出したばかりだけど、やっぱり好き。描写も文体もテンポも私の肌に合う。なのにどうして一気に読めないのか、謎だわ。
畠中恵って人気作家がいらして、町内会の若いご夫婦が愛読しておられるので、私もファンになってお話をしたいと思うのだけど、もうどうしてもこうしても、文体だかリズムだかが受けつけない。別に内容が悪いわけでも下手なわけでも私と相反する主義主張や思想があるわけでもない。でも読めない。決定的に身体が受けつけない。こういうことってあるのだよねえ。私の書く小説だって、そういう人はいるはずで、こんなのはもう理屈じゃないから、作者も努力のしようがないだろう。
庭仕事と小説にかまけすぎて、国文研究の作業になかなかかかれない。やりはじめたら一気なんだろうけどなあ。庭だけど、中庭がそこそこきれいになりかけてるので、まずはそこをきちんとしたいと思う一方、玄関前の若木のもしゃもしゃぶりを、一刻も早く何とかしないととも思うし、ああ、方針が定まらない。
この前から体調がぱっとしないとき、その直前に冷蔵庫の整理かたがた、おかずを山ほど作っていたのが助かったわあと自分で自分に感謝していたのだが、それもそろそろ食べ上げた。最近ものすごく魚の切り身にはまっていて、今日も鯛を買って来た。明日はこれを塩焼きにする。何だかタケノコもむしょうにほしくなり、小さいパックを買って来たから、それも煮てやろう。幸い、山椒は枝がはびこっているから、山ほどあるので、つけあわせには困らない。イチゴもちょっとだけ安くなり、スイカも出始めたので、楽しんでいる。あ、セロリも残ってたか。明日はりんごときゅうりをいっしょにして、サラダをこさえてしまおう。
うっかり地植えしてしまった柿の木もかなり大きくなって、きれいな若葉がつやつやしている。この葉っぱ、ヤギがとても好きで、田舎の家で、よくちぎって食べさせていたものだった。そろそろ実ぐらいならないかしらん。
そうそう、ミモザを植えるのを勧めてくれたお店の人に、「でかくなるらしいですよ」と言ったら、「うちも昔、大きく育てようと伸びるままにしておいたら、台風の時に根こそぎ倒れて、駐車場いっぱいにかぶさってました」とおっしゃって、またびびった。根をはるのが苦手な木らしい。よし、そう聞いたら、もう何とかして、倒れないよう育てて見せるぞ(笑)。方法はまったくわからんけれども(笑)。
もうバーベナも復活しちゃった!