幕の後ろで見た歌舞伎
新しい車には、だいぶ慣れて来ました。いつも行く店のいろいろには何とか回れるようになりました。しかし、まだ慎重に運転しているので、黄色で目立つ車体ではあるし、その内に宗像には黄色のノロノロ車がいると評判になるかもしれません。
ずっとのびのびになっていた、裏の崖の上の工事がいよいよ始まって、ブルトーザーが草や土を掘り起こして整地しています。私はよく見ていませんが、先日ご近所の方たちが実をもぎって来て、私もおすそわけにあずかった柿の木が今日切られてしまったようで、最後の実をまたたくさんとったとのことで、隣家の方がわけて下さいました。しばらくは果物には不自由しないですみそうです。
私の、上の家の二階から見える大きな栗の木と柿の木は、まだ残されていますが。これも斬られるのは時間の問題でしょう。何となく最期を見届けてやりたいような気もしていますが、出かけている間に斬られてしまうかもしれません。
夜はとても寒くなりました。思いきって、上の家の猫たちの部屋にも夜中の数時間だけエアコンを入れてやることにしました。昼間は日差しが暖かいし、これで何とかもつだろうと思います。二匹が暖かく過ごしていると思うと、こちらも安心して気分よく寝られるし。
昨日は小倉城のそばの「平成中村座」に歌舞伎を見に行きました。博多座にチケットを買いに行った時点で午前も午後もほぼ完売で、ようやく残っていたのは、午前の部だけで、舞台の脇の、幕の向こうという妙な場所の席だったのですが、これは大当たりで、幕が閉まっても舞台が見えるので、舞台道具の入れ替えや、役者の準備の様子も皆すぐ近くで見られるという、夢のような席でした。ただし、舞台の奥の方など、見えないところも多く、全部上から見下ろすかたちになるのですが、とにかく、めったに見られない面白さでした。演目は「神霊矢口渡」「お祭り」「恋飛脚大和往来・封印切」の三つでしたが、「お祭り」のときなど、幕の開く前に、主演の中村勘九郎が、本当にほろ酔い状態じゃないかという色っぽい機嫌よさで、ふらふら舞台を歩き回り(あれはもう演技に入っていたのでしょうね)、私たちの席を見上げて、とろけるようににっこり笑って手を振ってくれるという大サービスぶりでした。
「お祭り」の舞台の途中では、背景がはずされて、小倉の街が見通しになり、晴れている空の下の街が見え、お城の前の通りを歩いて行く人が何人か、こちらを見て一人が手を振り、勘九郎さんも振り返すというハプニングも客席の笑いを誘っていました。
私は「神霊矢口渡」を特に見たかったのです。私がいつか本にしたいと思っている「情あるおのこ」のテーマにも関係ありますので。平賀源内らしい、悪役もヒロインも、過激で徹底的で痛快でしたし、あらためて舞台で見ると、若いイケメンにほれる宿の娘のミーハーぶりというお決まりの型が、そのまま思いがけない運命へ彼女を引きずり込んで行く、切なさと壮大さが、ぞくぞくしました。
中村獅童が忠兵衛を演じる封印切は、いかにも上方らしい、こってりねっとりした八右衛門のいじめと、よせばいいのにそれに傷つく忠兵衛の意地が、あほらしすぎて悲しくて、それを見ているしかない良識派の大人たちの様子が、妙に今日的でもありました。そして、これだけ近くで見下ろしていても、七之助のお舟や梅川の、寸分のすきもない美しい女性ぶりには脱帽する他ありません。
午後の部も見たいけど、もう立ち見しかないそうで、それも当日行って並ぶしかないそうで、さすがにあきらめるしかなさそうです。
写真は、先日こわしてもらって、今はもうなくなった古い方の猫小屋。三十年近く前から、わが家の猫たちが使っていたもの。この後片付けもして庭をきれいにしなくてはいけないのですが、もう、することが多すぎて、なかなか思うにまかせません。