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弱者宣言

トランプとその取り巻きがいろいろあれこれアホなのはわかってるが、あえて言うなら、これまで長いこと、世界のリーダーだか指導者だかの意識でがんばっていたのが、もうやせがまんも出来なくなって、自分のことしか考えない!ということにしたってことだろう。

私に言わせりゃ、アメリカとその国民は、第二次大戦でパリを解放したときの、あの「正義の味方」「白馬の騎士」の快感が忘れられず、以後はずっと世界の警察官気取りで弱小国の政治に口を出しまくって、ろくなこともいろいろしなかったわけだが、本人?の意識としては、強者や正義派の責任感として、カッコつけて我慢もしてたし、それはそれでいいこともなかったわけではない。

だが、それはまたアメリカの国内でも移民や弱者や女性を大事にしようという姿勢から、我慢させられた層の不満は積もり積もって、そういう層も国自体もそろそろぶちきれてしまったということにしか私には見えない。大和撫子で暴君の祖父におとなしく仕え、家事その他を愚痴ひとつ言わず家族につくして優雅に笑っていた祖母が、晩年身体も弱って限界になったとき、突然凶暴になって祖父に暴力をふるってなりふりかまわず生きはじめたのと、重なって来る。

つまり私が「情けあるおのこ」で、とことんテーマにしたような、「強者の義務」「自己犠牲」「やせがまん」を人や国がつらぬけなくなった時の身の処し方に、この問題は重なって行く。

それにも関連することだが、フジテレビの問題は何もかもが腹立つもムカつくもはなはだしいが、個人的には一番あっきれ果てたのは、被害者の女性アナの事件後の宴席での写真をアップして、「そんな被害を受けてまもなく、こんな笑顔で笑えるものか」とコメントして、彼女の訴えに不信を示していた投稿だった。

ジャニーズ問題のときも思ったが、本当に井戸の底ほどバカじゃないのか、こんなことを書く人なんて。死ぬほど苦しく孤独だったり痛みをこらえている時に、人が笑えないとでも思うのか。平気な顔ができないとでも思うのか。自分が周囲の人間にそんな鈍感な感覚しか持てないでいるのはまあ勝手だが、自分がそんなにアホで鈍感でなあーんにも見ないで気づかないで生きてるってことを、気づきもせずにネットで書いて恥をさらしてそれにも気づかないでいることに、汚物を見るような嫌悪感を感じてしまう私もどうかっちゃあ思うけど。

まあ、大河ドラマ「べらぼう」の鳥山検校みたく、相手の声音やその他で五感を駆使してすべてを察してしまうのも、それはそれで本人も相手も困るかもしれないが。

それにそう言えば、そういう不感症人間にも利用価値はあるんだよなあ。大学教員だったころ、くだらない会議や家族の介護やその他で落ちこんで疲れ果てて、はいずるように研究室に戻ったとき、優しくて賢くて優秀な学生や同僚が来ると、ああ、元気のないのを気づかれてしまうと、歯をくいしばってにっこり普通にふるまうのが、とてもつらかった。
 逆に無神経で無作法で自分勝手で鈍感な人がやってくると、あーもうどんなに手抜きで上の空の対応しても、こいつなら気づかないし苦にもしないわと安心して肩の荷がおりて、適当ににこにこしながら、安らかで幸福と言ったらなかった。
 「あんな事件のあとで、こんな笑顔ができるのか」なんてとぼけた感覚で毎日生きてるようなやつは、こういう点ではそれなりに貴重な存在ではあるかもしれない(笑)。

うすら寒いし体調はあいかわらずで、こんな調子で八十歳になって大丈夫かと根本的な不安を抱きたくなる状況だが、先日買ったこってりと黄色のチューリップが生き生きしていて元気が出る。ストロングハートとかゴールデンハートとか何だかすごく勇ましい名がついていたっけが、ちょっとあやかりたい。(検索したらストロングイエローでした。笑)

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