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御存知でしょうか?

キャラママさん

此れは私は主に母との関係で学んだ事なのですが、献身や奉仕、好意と言った物は決して貯金や積立が出来ないと知るべきですね。
私が何度も間違えて仕舞ったのは、母に此れ以上尽すのは難しい、或いは例えばもう少ししたら自分の事が忙しく成るから、今出来る間に沢山相手をしたり付き合ったりして置こうとした事です。
そうしたならば、母も其れで元気付いて満足して私が暫く顔を見せなくても我慢してくれるだろう、一人で何とか遣って行く力を養う事が出来るだろうと心の何処かで考えて居ました。

けれど事実は全く逆でした。私が何度も訪れ細やかに世話し相手をすると母は其れに感謝するよりも、直ぐに其れに慣れて仕舞い其れを普通と思う様に成り、恒常的にそうする事を望み要求する様に成っただけでした。
少しでも私から離れて大丈夫な様に暖かく親切にすればするほど、母はその快さを既得権として私に要求し続けました。

愛情や慈しみは一度に与えて保存させる事は出来ません。私は今では出来る事でもずっと出来ると言う自信が無ければしない様に成りました。良い解決法で無い事は分って居ますが・・・「此れだけ与えたら満足して後は自分でやってくれるだろう」と言う判断は多くの場合は幻想に過ぎません。与えられる快さに人は慣れ、当然の事として此方が力尽きて倒れる迄要求する事を止めません。

伊達直人騒動の時も思いましたが、私も含めて恵まれない人を救いたい、余力が有る時には何かをしたいと言う思いは多くの人の心に有ると思います。其れに二の足を踏む理由の一つは、一旦そうしたら、其れを当たり前の事としてずっと要求され続けはしないか、其れは余りに荷が重いと言う逡巡です。
ですから私は匿名の・無責任な・一時的な・気紛れの・寄付や贈り物を評価したいのです。「やるからにはずっと」等と当事者ならまだしも赤の他人が要求するのは余りにも残酷です。

母にせよ誰にせよ私は今では好意も奉仕も出来る範囲でしかしませんし、自分が無理だと判断したら直ぐに打ち切ります。冷たい、無責任と言われても其れは仕方が有りません。泉の水が枯れないと言う保障が無いのなら、せめては何時其れが無く成っても困らない様に覚悟して準備しつつせいぜい枯れない様に大切に使う事が住民の知恵では無いでしょうか。

キャラママさんはともあれ御自分が滅びない道を選ぼうとされて居る様で其れは正しいと思いますけれど、中には自分が滅びる迄尽す人も居るでしょう。其れは其れで良いのだと思います。私は「続かない援助なら最初からするな」と言う一見偽善批判に見える偽善は嫌いですから、中途半端でも無責任でも気紛れでも母にも他人にも出来るだけの事はしようと思って居ますが、嫌になったら止めますし、その基準は自分しか決められないと考えています。

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カツジ猫