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心がゆれる

ちょっと前に、石破首相の退陣について、共産党の「しんぶん赤旗」が、まったく否定的な見解しか示していないことに、まあそれしかないかなと思いつつ、何だか割り切れない、もの足りない思いもしていた。そうしたら社民党の福島みずほさんが、石破首相のことを高く評価したコメントをしておられて、どういうか、安らいだ。こちらのXにあるが、ついているコメントにも、同感するものが多い。

共産党の言っていることは正論だし、野党にもこういういろんなちがいはあっていい。しかしそれはそれとして、私は選挙ではいつもれいわか社民党か共産党かと考えたあげく、大抵結局、共産党に入れることが多いのだが、今回初めて、今度は社民党に入れてみようかとかなり本気で思った。

イスラエルが停戦協定の仲介者となっているカタール国に、ハマスの代表が停戦の相談に行っているから幹部を殺そうとして爆弾を落とし、死者も出て、カタール国は激怒している。素人の見た感じでは、もうどうやらネタニヤフは戦争を終わらせたくないのだとしか思えない。戦いが終われば自分の失政や犯罪がいろいろ追求されて明らかになるから、戦争を続けるしかないのだと前に聞いたから、あながち突飛な話でもない。

ウクライナでは、年金授受の日に郵便局に集まった高齢者の中にロシアの無人機が爆弾を落とし、二十人以上の高齢者が死んだとか。これももう、狂っている。

今日は朝から雨。しばらくこんな天気が続くらしい。昨日、猫の墓の上に載せた墓標代わりの敷石タイル(ガーデンステップ)が雨に濡れてきれいだ。昼の光の中で見ると、またそれなりの味わいがあったりする。タイルの回りに何か草を植えたいのだが、リュウノヒゲあたりが無難かな。キャットニップはベタすぎるかな。やつが、とんがった葉っぱが好きだったカーネーションもどこかに植えたいが、うまく根づくものなのかしらん。

出身大学の研究室からのお知らせで、院生時代の先輩の若木太一さんが亡くなったとのことだ。ずっとお会いしてなかったから、優しい笑顔と幸せそうな声の面影が、ちっとも色褪せないままだ。学会発表のとき、時間を無視して何回チャイムが鳴っても、にっこりと穏やかに続けて二十分ぐらいのオーバーも普通で、皆もそれはあきらめていた。のどかな時代だった。大学紛争のさなかでもあったが。

ずっと長崎の文化や文学について研究されていたが、私が院に入ってすぐ、長崎で近世文学会が開催されたことがある。大規模な行事で、国文学研究室の院生は大忙しだった。私は下っ端の新米だったから、言われたことをするだけでそんな苦労もなかったが、先輩たちや教員は大変で、当時の主任の中村幸彦先生は、学問同様、事務仕事にも有能で仕事が早く、プログラムや壇上の横断幕が出来ていないと、即座に自分で全部書いてしまわれた。「まあ、こんなもんですわ」と照れ笑いされていた。先生の書く字は「中村文書」と噂されるぐらい特徴があり、知ってる人にはすぐわかる。その恐れ多い直筆の文字の垂れ幕やプログラムを使って私たちは学会を無事にすませた。

そのあとでしばらくしてから、若木さんから、「あの字のプログラムや横断幕がほしいけど、残ってないだろうか」とたずねられた。本当にとっておくべき貴重なものだったが、私たちは皆、もう夢中で混乱していて、結局それらの紙も皆どこへ行ったかわからない。
 若木さんはそのように、中村先生を無邪気に慕っておられ、先生もまた、ご自分はてきぱきと「いらち」でおられるのに、それと反対のおっとりのんびりした若木さんを、とても愛して大切にされていたように見える。

それにしても八十二歳で逝かれたとは、早いようでもあるが、私より二歳先輩なだけと思うと、こっちももう猫の墓とか見せびらかしてる場合じゃないな。と言って特に何もする予定はないけど、とにかく家をかたづけないと。いつ、こちらを旅立って、どこかへ行ってもいいように。

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カツジ猫