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攻めます

先月死んだ猫のカツジ(の魂?)をつけあがらせるのは承知で、彼の墓を部屋の中から見られる位置におく小さな椅子を衝動買いした。そんなに高くはなかったし、まあイメージしていた通りの品だけど、うちって、片づけたら椅子なんて、いくつ出てくるかわからないんだよね。どれか利用すればいいんだけど、ついめんどうくさくなって、新しく買ってしまった。もうもう、私のバカバカバカ。でもまあ、こういう大きさの椅子は持ってないからな、と自分をなぐさめている。ここに座って、あいつの墓をながめながら、本を読んだりコーヒーを飲んだりするのも悪くあるまい。

お墓の回りに置く、白い花もいくつか買った。攻めの姿勢のつもりではあるが、こんなことしてるから、また足が痛くなって熱っぽい。あれこれまだまだ仕事はあるが、今夜はベッドで足を冷やしながらテレビでも見て過ごそうか。

…ってまた結局、カツジの話になっちゃうのか。まあしばらくは、しょうがないかな。

読書会の参加者の若い方からは、カツジのお悔やみにと、手作りの素敵なケースをいただいたしなあ。中は猫の模様になってるし、とてもきれいだ。何を入れようか考え中。カツジの写真の前に供えてやってる。あーまた、あいつが浮かれてつけあがるだろうな。そーだよ、君は愛されてたんだよ。だからって、あの世であんまりいばるんじゃないぞ。

「ペットロスにあまりならないのは、こっちが先に死んだらどうしようかと、いつも心配してたもんで」と読書会のメンバーに説明すると、お一人が、「私も具合が悪くなったときに、自分が今死んだら、父と猫はどうなるだろうと、そればっかりが心配でした」とおっしゃって下さった。

大雨のせいかどうか知らないが、自民党総裁の後継者争いが、あんまりニュースにならないのはありがたい。被害を受けた方々を思えばこんなこと言っちゃいけないのだが。

もうずーっと大昔のこと、「週刊朝日」で開高健が「ずばり東京」というエッセイを連載していた。私の記憶にあるかぎり、漫画をきちんと評価して、その中での手塚治虫の別格ぶりを正確に分析して評価した文章は、日本ではあれが初めてだったのじゃないか。
 その回とはまた別のときに、自民党の総裁選を題材にした時、開高健は「たかが一党の指導者を決めるにすぎないこんな選挙に国民が皆関心を持たなくちゃならないというのは、変だしおかしい」みたいな嘆きでしめくくっていた。当時はまだ総裁選は今と比べたら全然大きな話題にもなっていないときに、開高健は、その不自然さ、異常さを、はっきり意識し指摘していたのだ。

その後、本当にたかが一党の指導者決定に国をあげての大騒ぎをするようになる状態が、どんどんエスカレートする中で、いつも「ずばり東京」のその指摘を思い出していた。多分、私は高校生か中学生だったと思うけど、その一文だけはずっと覚えていた。

それを思い出しながら、ちらちらXの投稿を見ていると、高市氏の推薦人になるべき議員が多く落選していて、人がそろいにくいということで、あー、つくづくそういう人たちが落選しといてよかったと思ったり、彼女が女性なのにフェミニストは何で支持しないのかというような発言や疑問があって、ほんっともう「アホか!」とあきれたり、まあ比較的、候補者の中では林氏がよいのではないかという意見に、そうなのかと思ったり、というのが今の私の状況だが、一方で共産党の「しんぶん赤旗」が、もう紙面のすみからすみまで石破首相をちらとも肯定しないで否定しまくることにしているらしいのを見て、何だか不安になっている。多分よく討論して決めた方針なのだろうし、それが正しいのかもしれないが、これはいったい、どうなのかなあ。もしかして、石破首相の人気が高まり、評価が高まることが自民党人気につながるという危惧があるのだろうか。

共産党の志位和夫氏や小池晃氏が、自民党総裁選はしょせん一党の内紛で、そんなことより国会のほうが大切、みたいなことを強調しているのは、開高健のかつての指摘とまったく同様で、そこは私も同感すぎるのだけど。

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カツジ猫