志の高さ。
◇夜になって雨がしとしと降ってきた。とても弱い雨だからか、カツジ猫はわざわざ外に出て、しめって帰って来ている。
今日は午後に福岡であった共産党の山下副委員長の講演会に行った。日曜日なんて最近出かけたことがないから、ふだんの日には出没しないアホな動きをする車が道路にあふれて、渋滞だらけになることも、天神近辺の駐車場がどこも満車になることも忘れはてていて、結果大幅に遅刻し、40分以上過ぎてから入った。
骨相学だか人相学で言うと、山下さんって、アベに若干似た顔だちじゃないかと思う(笑)。そして私は自分の周辺の男性たちが、皆じゃないけど思いがけない人が思いがけない時に、自分の外見の自信や不安をぺらっとあらわにすることがあって(まあ女性でもだが)、あらー、へー、そー、あなた実は自分の外見にそこそこたのむところがあったんかいと、驚くことが多いので、アベは、あれできっと、自分は顔はいいと思っていて、アソウやトランプ、枝野や志位や小池晃よりおれの方が見てくれはいいという気があるだろうと推測する。
こっちはもう、そんなことはどうでもよく、アベが不愉快だから、あの言ってみれば育ちのいい坊ちゃん風の顔が、ひたすら下司と無恥の代名詞のように思えて来て、これは困ったことである。かつて、後輩の男子がアラン・ドロンに似ているという話があって、たしかにそうだったのだが、それからわりと最近では同僚の指導している学生が阿部寛に似ていたのだが、それでどうなったかというと、その男性たちが魅力的と思える前に、ドロンや阿部ちゃんが何だか頼りなく意志薄弱でへまをしそうに思えてならず、こっちゃもう、どうしてくれるとか思ったものである。
だから同じように、ちょっと品のいい整った顔立ちの山下さんが、声までちょっとアベに似た高い声で、とてもきちんと立派なことを理路整然と話してくれると、そういう顔だちや声音に対して、こびりつきかけてた先入観や固定観念が払拭されて、それはもう、とても助かる。
もっとも、どっちかというと、アベに似てるのを別としても山下さんは、あの外見で損をしてるか得してるかは微妙だな。政治家がカッコよすぎると、逆に薄っぺらで軽く見えたりもするし、実際そういうやつもいるから。
これも同僚の何人かの先生は、すごく優秀で切れる人だったと思うのだが、姿かたちが朴訥でどこにでもいそうな感じで、あれは絶対警戒されずに助かってるな、相手は油断してる内に首が落ちているなと、私はときどき感じていた。
◇そんなどーでもいい話はともかく、山下さんが話したことを聞いていて、もうつくづく感じたのは、本当のことをきちんと話すだけで、共産党がいかに立派で正しかったかわかるというのは、聞いてる方も話す方も、まあどんなに楽で気持ちがいいかということだった。
そりゃ、超こまかいことを言えば、まちがいとかごまかしとかがあるかもしれないが、基本的に、きちんと考え、まじめに歩んで、健全にまっとうに、正しいと思ったことを選んで、試して、努力するという、あたりまえのことをしてきたということは、実に簡単で、快くて、やめられないことなのだという実感だった。
そこには、知性と理性、倫理と誠実がある。それをよりどころに進むから、まちがえないし、まちがっても直せる。
共産党が、今こういう状態にあるということは、日本にとって私たちにとって、実にありがたいことだ。こうならなかった可能性や分岐点も、それこそ、いくらもあったのだから。それを、今のような状態に育てられたのは、私たちもふくめた、戦後日本と、憲法のせいだったのかなと、生まれて初めて、ちょっと思った。
最後に近く山下さんは、「安倍さんなんて、どうでもいいんです」と言った。おやっと思った人もいただろうが、これは昨日、私がここで書いたことと同じことを、ただし前向きに言っているのだと思えた。アベは、もろもろの現象の中の一つに過ぎない。そして共産党は、人類の到達する未来はどうあるべきかというところまで、壮大な展望をきちんと持った上で、足元の、現実に向き合っている。
その志の高さ、品性の質の良さ。
もちろん、これが全党員や全組織のものになっているわけではない。そう簡単になるものではない。
それでも、たとえほとんど理解できなくても、山下さんや中心メンバーの語る雰囲気だけでも、本能的に人はそれらを感じとれるし、真似する、影響される、反映する力が持てるだろう。アベやアソウのことばや態度から、ヘイトスピーチやヘイトデマを生み出す力が育つように。
◇私は共産党よりも、多分もっとややこしくて、雑多だ。
だから、同じ戦いはできない。
でも、うまくやれば、ちがったやり方で、同じ目的をめざして、人間と地球の生き物のためによいことができると思う。
失敗しないようにしなければ。
怠けないようにしなければ。
◇せっかく街に出たからと、本屋に寄ったら、またしても専門外のや専門内のや、いろんな本をあっという間に一万五千円ほど買いこんだ。わー、月の後半、どうやって食べて行ったらいいんだい。
でも、このどきどきが、生きてる実感だったりするからなあ。
「クリミナルマインド」を見ていると、休暇でリゾート地に来た平和な家族が凶悪犯罪にまきこまれたり、病気で余命いくばくもないお年寄りが凶悪犯につかまって殺されかけたりする。まあ、死んでしまっては元も子もないが、私は見ていてとっさに、「いやん、一生の思い出と語り草になる、最高の夏休みじゃん」とか「冥途のみやげに、こんなはらはらどきどきの冒険ができるって最高やん」と、とっさに考えてしまう。
きっと、幼いころ読んだミステリ「技師の親指」で、被害者が「私はこんな目に会って、何の得もなくて割りにあわない」とぼやいたら、かのシャーロック・ホームズがにっこり笑って「一生話せるネタができたじゃありませんか。誰からもきっと面白い人だと言われますよ。それは貴重な財産です」とか言ったのが、どっかに刷り込まれてしまったんだろう。読書体験は、あなどれない。