怪しげなおせち
今日中というか今年中に、「水の王子・村に」の紙本の最終校正を仕上げてしまおうと思っていたのだが、まだ半分しかできてなくて、あきらめた方がよさそうだ。午前中にかなり進められたから、行けると思っていたのだがなあ。まあ、元日には仕上がるだろう。
さっき、上の家に行って、冷蔵庫に入れていた正月用の食品を重箱につめて、超あやしげなおせちもどきを作り上げた。明日の朝、すきまにレタスをつめたら、もうちょっと見よくなるかな。スーパーに売ってあるおせち用品関係の中から、これぞ家族もいない強みとばかりに浮かれて、徹底的に自分の好きなものしか買わずに作ったのだが、つめるついでに、ちょくちょくつまんで食ってたら、さすがにうんざりして、全然興味なかった昆布巻きだの田つくりだのが妙に欲しくなって来た。やっぱりおせちって、バランス考えてできているのだわ。
しめ縄もつけたし、花も飾ったし、あとはお屠蘇をこさえて、夕食すませて、年越しそばを食べるだけ。ふうう。紅白も少し聞いたけど、もう何ちゅうか歌も司会もすべて軽くてチャラくて、脱力して海外ドラマの「ハワイ・ファイブ・オー」のDVDでも見ることにした。このドラマのDVDもそろそろもう、終盤近い。悪役のヤクザのサトーとやらが、最初はただのチンピラっぽかったのに、親分になったらそこそこ立派に親分らしくなってきて、あれは役者がうまいのだろうか。
プーチンがしらっととんでもないことし続けてるのには毎日ムカつくし、岸田政権のバカっぷりと支離滅裂はもはや非現実めいた域に達しているし、菱岡氏の小津久足本の感想も書きかけてるし、今年の反省も来年の抱負もわりとばっちりまとまってるし、要するに書きたいことは山積みなのに、どうやらすべて年越しだ。明日の元旦は怒涛のブログ更新になるんじゃなかろか。初詣の予定もないし。年末ぎりぎりにワクチンを打ったものだから、あと数日は効果が出ないはずで、人混みには行けない。
友人知人の中には、コロナは大したことなくてワクチンこそが毒だとずっと主張してる人もいて、その一方で海外旅行に行きまくってたのに、今やコロナを警戒して外食も外出もほぼしないで閉じこもってる人もいる。さすがは私の友人たちで、どっちの方面にもやることが徹底している。どちらも納得できそうなので、私は両方に耳を傾けているのだが、最近ではもう冗談でなく感染者が増える一方で、ワクチンの死者も無視できないほどの増加ぶりで、どっちに転んでもどうすりゃいいのと言いたくなる。
猫のカツジは、高い高い正月用のさしみを私からわけてもらって、少し前に比べたら、そこはかとなく機嫌がいい。何ちゅうやつだと思う一方、しかしもしこれで、高いさしみに目もくれず無視しやがったら、それはそれで腹が立って血圧に悪いだろうとも思う。ついでに、貧しい母子家庭や父子家庭の場合、子どもを喜ばせようと思って、なみなみならぬ決意をして、このように高いものを買ってきて、子どもが喜ばなかったら、どんなにつらいだろうとか考えてしまう。それが恐くて、思いきった贅沢なものも買いびかえるだろうなとか、子どもがおいしくないとか言ったら私なら激昂して虐待に走るかもしれないとか、次々にしょうもないことを考えてしまって落ちこむ。
でも、本当だよ。貧しさって、無駄ができないことで、それは冒険や挑戦や気分転換ができないってことなんだよ。それが一番、人をさいなみ弱らせることなんだよ。「最低に文化的な生活」って、あたりまえのことではあるが、それでさえ、本当はとても残酷なことなんだよ。
何はさておき、皆さま、どうぞよいお年を。明日からの一年も、またどうぞ、よろしくお願いいたします。