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意識的な愚痴

キャラママさんとじゅうばこさんが常に言うのは「言わずに居られない愚痴を言ったり迸らせずには居られない怒りを表に出してはいけない。それが他人や世界の為に有効だと判断出来た時のみ口に出せ」と言う事で、其れを信奉して居るのでも有りませんが、その判断をした上で、愚痴ります。

昨日今日と体力的にも精神的にも消耗する大小様々な仕事が三つか四つ程続きました。一寸こういう事は珍しいのですが。
昨日の夜の段階で比較的大変な事が一つ終わって、それなりに自分の能力も確認出来て一安心し、仕事場に帰って眠ろうと思い、少し遅くなったのですが一応母に毎晩して居る電話をしました。
すると「貴女今何処に居るの」と言います。仕事が一段落したので帰って寝ると言いますと「私は待って居るから」と言うので「何か有ったの」と聞くと「今夜帰るんでしょう。食事もしないで待って居る」と言います。
偶々其処は城下町で目の前に城の堀が有って、其の時突然その堀の水が思いがけない程すぐ目の前に近く手を伸ばせば届く程の状態なのに気づきました。真っ黒く光る其の水に携帯電話を投げ込むか、いっそ自分が落ちて行こうかと咄嗟に思った事でした。

少し前からこういう事が良く有って、それを防ぐ為に大きな赤い文字で次に帰る予定を書いてテーブルに置き、カレンダーにも印を付けて居るのですが、暫く効果が有った様ですが、最近は其れも見て居ない様です。
数日前が誕生日だったので何とか帰ろうと思ったのですが、さすがに体力に自信が無く、それでも大変な多忙の中贈り物を買い菓子を手作りして小包で送りました。それでも気になって「帰ろうか」と言いましたら、知り合いの若い人がお祝いに何人か来て呉れるから大丈夫と、浮き浮きした調子だったので帰るのを止めて居たのです。

何人かお客様も来て下さったのですが、忙しい方は其程長居は出来ず、又予定が錯綜して母は疲れたり拍子抜けしたりして、結局そう言う時は取り敢えず私が帰る物と思い込んで仕舞ったのでしょう。
それは良く分かりますし、また事情がどうあれ帰って居たら私が倒れて居た可能性も有るので、選択の余地も後悔の余地も無いのですが。

只、本当に気を遣い念を押して今回だけは大丈夫と信じて本当に僅かな時間と部分的な精力を最低限と言って良い程自分の仕事に打ち込んで、ささやかな成果も上げて安心し小さいながら深い満足を得て、今夜は何も考えずに寝られると思った途端に、それが後ろめたい事でも有るかの様な気分に叩き込まれるこの落差の大きさは何度味わっても慣れません。

母を心配しないで全力投球すれば私の出来る仕事や上げられる成果はこんな物ではないという自覚と自信、それが発揮できない苛立ち、この自分の能力も刻々衰えて行くだろうし残された時間は無いと言う焦燥、それらの全てを飲み込んで戦って居てなお、その限られた欲求不満の戦いをした事をさえ、責められて罪の意識を感じさせられる。

時々、もう限界と思います。いっそ仕事など皆止めて母の傍に居て看護婦と小間使いに徹すればその方が遙かに安らかで幸福だろうと思います。恐らくこうやって男女を問わず多くの人が介護や育児や家事の為、自分の能力を殺し公的な仕事を辞めるのでしょう。そして、そういう事に鈍感で家族や周囲を気にせずにひたすら政治や企画や芸術に打ち込める人の作った物だけが世に残るのでしょう。ろくな世界にならない筈です。

私はもう心を決め、道も選んで居る筈です。自分の仕事の為には母の幸福は無視すると言う道です。しかし、これも多くの人もそうだろうし私もこれまでそうでしたが、小説を書く論文を書く本を出す講演をするそういう創造的な事をする度に、世間の人や他人には喜ばれ感動されても身近な場では何の賞賛も受けるどころか必ず責められ攻撃される、いわば「何かすると何時も痛い目に遭う」という感覚は実に人を蝕みます。心ばかりかきっと身体までも。
こういう痛みに無感動になる事も敗北で危険だと思って居ます。しかし感じ続けながら続ける事にも限界があります。何かをなし得た喜びがいつも誰かの「自分に何かをしてくれなかった」という怨念に汚されるのは積み重なると脅威です。

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カツジ猫