戦争と子どもたち。
◇「チムール少年隊」、ゆうべ読みはじめてすぐ、何となく内容を思い出した。第二次大戦中のモスクワ郊外の村で、赤軍に行った人の留守家族をひそかに守る少年たちのグループの話で、でもそのトム・ソーヤ―風、「大脱走」風の秘密組織めいた冒険が、わくわくするほど楽しくて素敵…なはずだったんだけど、それは少年たちの世界で、十代の姉妹がそれにからむのだけど、これは「こぐま星座」もそうだったが、ソ連のこの時代の小説では、少年だけでなく、それにまじってちゃんと少女たちも活躍するのが、逆に私のような読者には、何だかひどくつらかった。
まだ少年と互角に戦ったりがんばったりする少女はいないし、元気で負けず嫌いの少女ほど、かえって何だか女性っぽく子どもっぽく見えてしまうし、そしてそういう関係の少年少女やその周辺の男女の友情や恋が、きらきらと美しいほど、やりきれなくて、まぶしいほど、かえってつらかった。
たとえば少女をしめだしたり、脇役にしかしていない少年だけの冒険小説とか、逆に少女や女性が中心の恋愛だけの小説の方が、私はいっそとても気楽に楽しめた。
そのつらさや痛みがすべて一気によみがえり、現実の世界が今では「ワンス・アポン・ア・タイム」にしても「キャッスル」にしても、そういうかつての男女関係とはまったくちがった冒険小説が登場し、私自身もすっかり年とって、もうそういう人間関係を今さら築かなくても、いろんな意味でよくなっていることが、ものすごく救いに思えて、その幸福をかみしめながら、作品としてはとてもよくできている、「チムール少年隊」を楽しんだ。
◇もうひとつ、これもまた「こぐま星座」もそうだったが、ソ連が舞台だから、戦争や軍隊が非常に肯定的に描かれて生活の中にとけこんでいるのにも、幼い私はなじめなかったというか、とまどった。人々に愛されている、正しい軍隊のあり方が。その記憶もまた、よみがえった。
そして、「戦争は女の顔をしていない」と同じ作者の、第二次大戦下の白ロシアの子どもたちの証言を集めた「ボタン穴から見た戦争」(岩波文庫)も、これも読みやすくて一気に読んでしまったのだが、その最後の証言の中に、「チムール少年隊」のようにがんばろうと思っていたのに、実際にはなかなか、とか書いてる当時は少女だった人のことばがあって、思わずなつかしさに笑ってしまった。
こんなところで思い出すのも腹が立つけど、トランプが子どもの死にショックを受けるというけれど、それこそ白ロシア(今のベラルーシ)では、赤ん坊なんかめちゃくちゃ殺されてるし、そういうのにもちゃんとショックを受けてくれないだろうか。
それと、生き残った子どもたちは、「ぼくの村は戦場だった」でもそうだが、幼いままパルチザンに入るしドイツ軍も殺す。現代のアフリカなどの少年兵の問題とも、重なって、このことをどう考えるかということも思った。
◇今日はまた、うすら寒く、朝から雨が降ったりやんだりしている。買い物に出かけたら、雨の中にも桜は美しく堂々と咲き誇っていて、川の両岸のずっと遠くまで、花がつながっているのが見えた。
この間から家の近くで鳴いているうぐいすは、先日私が近所の方と「まだ下手ですね」「去年のうぐいすは最初からうまかったけど、あれの子どもですかね」などと言い合ったのが聞こえたのか、最近はものすごく上手になって、毎朝「ほーほけきょうっ!」とめいっぱい、キレのいい立派な声で鳴いてくれている。猫に食べられるんじゃないよー。