決断の時かもしれない。
◇上の家の書庫に積んでいた、本の箱をやっと少し開け始めました。あちこちの棚のすきまに、どれだけ入れられるか、見当をつけようと思っているのですが、どうもどうやら無理じゃないかと思い始めました。
そうなると、今入っている本を処分するしかなく、特に絶対まっとうな考えの人なら処分をすすめるだろう、祖父や叔父の古い本を、いよいよ廃棄するしかないかなあと考え始めています。
私はものでも本でも服でも、基本新しくていいもので、人が使ってくれそうなものから手放します。人手にわたったが最後、絶対ごみになるだろうというものは、手元において使います。
祖父の本ももうまったく、あらゆる意味で価値のない、古い分厚い医学書の全集とかです。そもそも祖父も生きてるときに絶対読んでやしなかったでしょう(笑)。でも、祖父が書斎に使っていた離れの書棚に、どっしり鎮座していたその本を、床に座って遊びながらながめていた幼い私にとっては、それはもう本というより家具調度、仏壇の仏像みたいな、なつかしくもおごそかな何ものかでした。
バカを承知で百も承知で、その重いかさばる本を私は全部運んできて、書庫のすみに置いてるのです。見ていると祖父がいるような気がして。
叔父の本は、私が使って役に立つ国文学の本も少しはありますが、もうぼろぼろになって解体しかけたり黄ばんだりしてる小説の単行本のいくつかが、これも田舎の家の古い小さい本棚に詰まっているのを見て育った私には、ふしぎな呪文が書かれた神秘の本のようで、捨てがたいのです。「アパアトの女たちと僕と」なんていう、分厚い小説など、高校生のころからいつか読もうと思ってそのままにしている。「若い人」は読んだんですけどね。ちっとも好きじゃなかったけど(笑)。読むたび、すごく落ちこんで、世の中がとことんいやになりました。
これまた祖父の医学書と同様、今やごみにもならないでしょうが、せめて捨てる前に一度読みたくもある。
もし、こういう本を処分してしまうとなれば、もうたしかに一段階私はふっきれて、祖父母やそれ以前の代からの、手紙や写真や叔父叔母たちの書いた書道の紙のたばまで、一気に全部捨ててしまって、荷物は一気に減ることは請け合い。ほんとに自分が死ぬまでの時間がそんなにあるはずないことを思うと、ここはもうそれを決断する時かもしれない。
しかしまあ、その前に私自身の古い書類や原稿を処分してしまえば、まだまだ相当空きはできるかもしれないな、と思ったりもするから、ややこしい。
そうやって箱を片づけていたら、子どものころに読んだ児童文学全集もいろいろ出てくる。これは私は捨てる気はないんですが、読みはしたけど、内容をよく覚えていない、私にしては珍しい本がいくつかあったりして、そのうちの一つの「チムール少年隊」という岩波少年文庫を、今夜は下の家に持ってきました。こんなのを、あらためて読んでみるというのも、無駄すぎて何だか最高のぜいたくをしている気分です(笑)。
◇さち・ド・サンファル!さんが、マンションのリフォームの苦労話をブログに連載しておられます。まだ現在進行形でもあるのですが、長くなりそうなので、そろそろ紹介しておきます。いろいろ、参考になるところもあるけど、それ以上に、読み物としてわくわくどきどき、華やかでスリリングで、楽しめる人が多いのではないでしょうか。
私自身、ときどき話をうかがってはいたのですが、どうしてそういう苦労話が生まれる状況になったのか、実はよくわかっていなくて、自分も何軒も家を建てたりしたわりには、情けないとしか言いようがないぐらい力にも何にもなれなかったのですが、その、理解できなかった部分がこれからわかるのかなあと、ミステリを読むような気もしています。
第一回の分をリンクしておきますが、現在「7」までアップされています。
http://girigirinanoyone.blog64.fc2.com/blog-entry-552.html
◇そうそう、筒井康隆の発言にからんで、私が「あれは批判されて当然だが、個人的にはこういうアホの方がもっと許せない」みたいなことを昨日ここで書きなぐったら、「じゃ、そのアホがどうすれば、あなたは満足なんですか」と、ある人から聞かれました。
まあどうやっても満足じゃないし、正直どうでもいいんですけど、そこは私もバカ真面目に考えてみると、うっとうしくはあるけれど、「自分の以前に言ってたことは失礼だったと気がついた。できるものなら許してほしい」とか正式に言ってきたら、少しは見直したかな。わかりませんが。
そして、それ以上に、たとえ世の中がどう変わっても、私に以前と同じような失礼な無神経なこと言い続けて、態度もいっさいあらためないで、世の中に10周回ぐらい遅れても、そういう発言や行動をやめないで、目上からも目下からも周囲のすべてからもひんしゅくかって、狂人廃人まぬけ扱いされて滅びたら、敵ながらあっぱれやんとちょっとは尊敬するかもしれない。そういう最期をとげてくれるんでなかったら、私の怒りはおさまらないでしょうが、そこまで要求するのは無理でしょうからしません。時間の無駄だし、そうまでしておさめないとならないほど私の中では重要じゃないし。
そういう点では筒井氏は、そのアホとはもともとちがうんですが、やってることのパターンとしては、私に尊敬してほしいのかなと、自意識過剰にふと思ったりもしますね。いえもう、こんな話、すればするほど、わからない人にはますますわからなくなるだろうから、マジで申し訳ない思いなんですけど。