戦争トラウマについて(2)
「ルポ 戦争トラウマ」の本について書いているのですが、この本を人にあげてしまったので、とりあえず記憶で書きます。まあそんな大きな間違いは多分しない(笑)。
この本の冒頭は、「暴力をふるう父親」の、いろんな実例です。まあ私の祖父も祖母に手を上げたことはありましたし、だいたいかつての佐藤栄作首相が夫人をひっぱたくという話題が外国のメディアでも相当話題になったりしたから、そもそも学校で体罰は最近まで普通でしたから(前にも書きましたが、江戸時代の武家では多分体罰はなかったかもしれない。貝原益軒の教訓書に、体罰を云々する記述はまったくないからです)、どのくらいそれが珍しかったかはわかりません。「巨人の星」のおやじさんも、ちゃぶ台はひっくり返してたけど暴力はあまり振るっていなかったような気がする。
ここで紹介されている、いくつもの例は、それとはかなり程度がちがう。ものすごい狂気じみた暴力をふるう父親たちで、家族はもう家にいられず、厳寒の戸外に逃げるのが普通だったとか、そんなのばっかりです。もう明らかに普通じゃない。そういう例が具体的に、いくつもいくつも細かく紹介されている。
そして、これらの話で共通するのは、そんな父が死んだ後の葬式の席などで、家族や子どもが父の知り合いから聞く話で、それは、「昔はあんな人じゃなかった」「あんなになるとは想像もできなかった」みたいなことばかりで、それはいずれも「戦争から帰って別人になった」ということです。
どのくらいの家庭を取材したのか、明らかに「戦争に行って人が変わった」例は、その中の何割なのか、そういうことの検証は難しいとは思います。私の故郷などでも、けっこうな名家の有力者のご主人が、何かというと奥さんをひっぱたいて、奥さんははだしで外に逃げ出すとかいう話は普通に語られていたし、そういう例が全国でどれだけ普通にあったか異常だったかの調査は、なかなか客観的なデータが出るものではないとは思います。
ただやはり、あり得ないことではないだろうし、私自身のこのことについての、かねてからの実感というか感覚を書いておこうと思います。
かなり前からときどき考えていたことは、日本の場合、大陸に戦争に行って、さまざまな残虐行為に加わらざるを得なかった日本軍の兵士たちの場合、帰還後に、その気持ちのやり場というか立場というかは、本当に救いがなかったろうということです。
またまた話が、変な方向にそれますが、私が趣味で書いてきた、いろんな小説の中には、かならず、とんでもない残虐行為や人間として許されないことをした人物が登場します。なぜかどうしてか、私はそういう人物が好きなのです。立派で完全無欠の人や国や団体や組織は、嫌いではないけれど、あまり食指が動きません。
アメリカという国は、まっとうな正義の国というイメージで、だからこそ、どこかつまらなかったのですが、ベトナム戦争のときに、その建国の歴史が、先住民を虐殺し、アフリカの人たちを虐げて築かれた恥と汚辱にまみれたものであったことが確認されて、初めてとても親しみを感じ魅力を感じて好きになりました。
傷一つない、しみひとつない人や国に私は興味も感じないし、しいて言うなら退屈です。いやーまあ、非の打ち所なさそうな慶応ボーイの柳町選手をつまらないといって振ったとかいうガールフレンドや、大谷選手をちっとも好きじゃない友人や、そういう人たちの心境に通ずるものがあるのかな。まあその二人とも、私はそんなに嫌いじゃないけど。
だから、日本が先の大戦で、いろんな犯罪的行為をしたというのを「自虐史観」と言って嫌がる人たちの気がしれない。実のところ、この言葉が使われ始めたころ、私は自虐史観って、ほめ言葉だと思ってました♪ 何の罪も冒してない国や祖先なんて、何が面白いんでしょう。強くて有能だったからこそ、図に乗って行き過ぎも失敗もし、罪も犯すわけで、それは恥と同時に誇りでもあるんじゃないでしょうか。何よりそれが事実なら、愛する国や人ならば、それも含めて愛しなくちゃ嘘でしょう。成績のいい優等生でなきゃ子どもを好きにならない親なんていますか? あ、いるんだろうなあ。
私は自分自身についても、自虐史観が好きな人間で、まちがいや失敗があれば嬉々として認めてしまうんですが、だから、今ふり返って深く反省するし後悔するし何より不思議にさえ思うのは、それだけ、間違いを冒して傷ついて汚れてしまった人が大好きで大好物な私が、「戦争犯罪を犯した日本兵」に興味も関心も魅力も、ほとんど感じないで注目もしないで生きてきたことです。本当になぜだったんだろう?これから考えて見なくちゃならない課題です。
さしあたり、そんな自分をおいといて一般的に申しますと、あの戦争がまちがっていたと考え、日本軍が中国その他でひどいことをしたと考える、いわゆる左翼とかリベラルとかいう人たちは、そういう残虐行為を実際に行った兵士たちに、同情とか共感とかそういう感情移入はしなかったような気がするのです。むしろ、その人たちにひどい目にあった、中国や朝鮮やアジアの人たちの方に、心を寄せたと思うのです。
それはまったく正しいことなのだけれど、その被害者たちのことを思い、受けたしうちを思うとき、加害者の日本兵は、どうしても悪役としてしか思い描けない。そういう気分でいたと思うのです。
一方で、その反対に、あの戦争を肯定し、日本がずっと正しかったと考えている、まあ右翼ということになる人たちは、このへんがどこかでどうなったかゆがんでねじれてると私はいつも思うのですけど、愛国心とかいうときに、正しい国でなくちゃ愛せないと思ってるらしいのですよね。だから日本がまちがったことをするはずがないと。
その、まちがったことという基準がまた、私はよくわからないんですよね。たとえば、そういうことを言う人って、わりと中国人が大嫌いで、最低の国民だと思ってるらしいんだけど、せっかくそう思うんなら、そんな中国人を虐殺しまくった日本兵を、どうしてもっと評価し、好きになってあげないのかと、マジでいつも思ってしまいます。
で、こういう人たちは南京大虐殺にしろ何にしろ、「そんなひどいことを、日本人が、日本軍が、するはずはない」って考えるんですよね。多分本気で、心から。
「大」がつこうがつくまいが、ある程度の虐殺が行われたのは、可能性としては高いし、実際にそういうことをした日本兵が少なからずいたというのは、まず確かなわけです。私が言いたいのは、確実に存在したはずの、そういう兵士たちの気持ちのやり場です。心のケアです。
あの戦争を否定する、ざっくり言って左翼的な人たちは、被害者だったアジアの人たちに感情移入し、心理的にはその人たちを苦しめた日本兵に心を寄せない。愛したり理解しようとしたりはしない。
一方で、あの戦争を肯定し、日本軍を支持する人たち、まあ右翼の人たちは、立派で正しい日本軍とその兵士が、まちがった残虐行為をするはずがないと否定し、実際にそういう行為をした人たちを、無視し、否定し、なかったことにしてしまおうとする。
だけど、そういうことを実際にした人たちとしては、自分の行動を評価してくれる人も、罰してくれる人もないままに、存在自体を消されてしまう。経験自体を消されてしまう。自分の責任はどこまでか、自分は被害者か加害者か、それさえもわからないまま、放り出されてしまう。
言っときますが、好きで行った戦争じゃないんですよ。好きでした残虐行為じゃないんですよ。命令されたから、従わなきゃならなかっただけですよ。従わなきゃ自分が殺されるんですよ。男だったからってだけで、行かされたんですよ。誰もその結果起こったことについて、どう考えたらいいのか、教えてくれないままなんですよ。
正常でいられるわけないじゃないですか。平常心で生きてられるわけないじゃないですか。
そういう点で、心の整理ができてない人たちが、戦後、どこの村にも、どこの町にも、普通に山ほどいたわけなんですよ。
人を殺すの、子どもを殺すのって、親しい人や愛する人の仇をとるとか、飢え死にしそうだから食べ物奪うとか、さしせまった理由や憎悪があればまだいいけど、戦争って、そんな切実なものさえない、知りもしない人を、仕事として殺すんですよ。あらゆる点でまともじゃない、不自然きわまることですよ。そういうことをさせられた人たちが、心のケアもしてもらえないまま、普通の社会に放り出される。
程度の差こそあれ、家庭の中で過度な暴力行為に走る人たちが生まれたのは、予想できる気がするのです。(つづく)
