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挑戦と敗北

天気予報の通り、今日はめちゃくちゃ暑かった。ぐたっとなってしまうのは、この暑さのせいかトシのせいか寝不足のせいかコロナのせいか。ともかく何とか夕方になって冷蔵庫の中のものを片づけて、サラダもどきを作った。

「聖の青春」と同じ作者の「いつかの夏」をほぼ読了。疲れていて、あちこち読み流したので、もう一度しっかり読みたい。

「パイロット・フィッシュ」を読んだとき、ライトノベルのような軽やかなお洒落っぽさと、純文学みたいな格調の高さと、読者を飽きさせないサービス精神と、いろんなものがミックスされている感じで、気持ちいいけど不思議な気がした。今度、この二作を読んで、もともとノンフィクションを書くジャーナリストのような仕事ができる人なのかと思って、それであの品の良さとサービスの良さがわかる気がした。

私は村上春樹の作品の中では地下鉄サリン事件のルポルタージュ「アンダーグラウンド」が一番好きで(と言っても作者は喜ばないよなあ)、タイプはちがうだろうけど、繊細でスタイリッシュな作品を書く人が、骨太でリアルな伝記や事件を題材にすると、いい作品が生まれるなあと、あらためて思う。

「聖の青春」を読んでいると、たとえば「夏をなくした少年たち」の中の怪物めいたどこか純朴な不良少年だって、もしかしたら、この天才棋士のような要素を持っていたのではないかと考えてしまったりする。狂気や異常と紙一重の天才たちの群像は、愛らしくもすさまじく魅力的だ。

冒頭に象徴的に登場するマムシの姿も、恐ろしいというよりどこか悲しい。そして主人公の天才棋士が病に苦しみつつ、最高の地位をめざし、風呂にも入らずごみの中で寝起きする破天荒な生活の中、ダニを殺すのも命を断つことになると嫌がり、仲間と激しい競争を続けながら、そうやって人を蹴落としつづけることに疑問を感じてもいたという、この視点は強烈で新鮮だ。

実際に、主人公の村山聖がそうであったのなら、そこに注目し描写した作者の観点はその人間像を築く上でとても鋭いし、かりに創作ではないまでもかなり強調されて描かれているにしても、それは伝記としての人物造型を鮮やかにするのに成功している。

「パイロット・フィッシュ」も、きらびやかな都会生活を描いているのに、「過去の他者への批判が自分を追いかけ苦しめる」と言った、ひとつまちがえば場違いになりかねない哲学的なテーマがあちこちに流れていた。それって、社会派ジャーナリズムの精神みたいなものかもしれないが、ちょっと昔の小説っぽくもあって、なつかしい。

一番身近な友人を蹴落とし続けなければ前進できない将棋界の厳しい毎日も共通するのだが、ときどき、最近読んだいくつかのプロ野球育成制度の中で、自分の道を選択して激烈な生存競争の中に身を投じる若者たちの姿とも、棋士たちの日々がどこか重なった。育成選手たちは、こもごも、「無難な道を選んで、自分の限界を試さないまま生きて行っても、それでは結局満足できないし、あのときああしておけばどうだったろうという後悔しか残らない。やって見て結局だめだとわかっても、初めから失うものなんかないのだから、それは全然マイナスじゃない」と言うような意味のことを口にする。

そう考えられる人にとっては、あたりまえ過ぎる、この考え方、この生き方を、できない人は決してできない。萎縮し、意識し、緊張し、人目を気にして立ち止まり、しかも、まさにそれだから自分はだめなのだということを、わからないまま、ずっとそこに立ち続ける。それはまた、私が生きてきた学問研究の世界とも、似ている部分が随所にある。

村山聖とその周辺の人たちの生き方は時に破天荒であるが、真っ直ぐで、卑しくない。現実の生活ぶりは不潔でも、その精神はとことん清らかだ。この品位は「いつかの夏」の、つつましく平凡な日常を築いていた、凶悪犯罪の被害者の女性にも通じるものがあるから妙だ。作者の好みや描き方もあるのかもしれないが、その毅然とした厳しさは共通している。

ホークスの育成選手たちも、村山聖ら棋士たちも、自分たちの夢や希望に向かってまっすぐ歩み、自分を賭ける。学問でも芸術でも、商売でも恋愛でも、それができない人は決してできないということを、私は今まで生きて来て、何となくわかるようになって来た。自分の限界を知ること、世間の基準でどう評価されるかを知ること、それを恐れて徹底して対決や挑戦を避け、「その気になれば出来たんだ」「自分はこんなものじゃない」という幻想を、ずっと持ち続けて生きる人は、どこかに生煮えの腐臭を放つ。私自身もそういう面があるかもしれないが、せめて、それを知っておきたい。そして、できれば、常にただ一点でも、ちゃんと挑戦し、勝利か敗北かを体験することを続けて行きたい。そうしなければ絶対に学べないものが、世の中にはある。

ところで急転直下の現状報告をすると、ある事情から私は今、子猫を二匹育てている。いずれ人に押しつける予定だが、なかなかかわいい。
猫のカツジと共存できないかと、昨日鼻先においてみたら、子猫は平気だったのに、カツジはフウウ、シャアアと怒りまくり、私が子猫を物置に隠してからも、めちゃくちゃ動揺しまくって、私にまでフウフウうなって威嚇していた。今日も私が子猫にミルクを飲ませたりチュールを食べさせたりして戻って来ると、シャツの胸をかぎまくって、いやな顔をしている。落ちつきなさい、あの子猫たち、そんなに長くはいないから。

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カツジ猫