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政治家の心得?

ここ数日、「やめようにもやめられないで今の地位にしがみつく」人たち(自民党、ネタニヤフ、兵庫県知事)のことを書いていたが、これって、言いかえると、「自分がいつやめても困らないような」政治をして、世の中を作るっていうのは、まあ私の趣味でもあるんだけど、上に立つ人のやり方の、ひとつのめやすかもしれないなあ。

つまり、「やめたって辞任したって、権力が対抗勢力にわたったって、その後犯罪を追求されたり文句をつけられたりしないように、どんな権力を持っていても、身辺は常にきれいにしておく」ということはもちろんだが、更に一歩進めて、

「自分が没落しても入牢しても死刑になっても、そんなに困らないですむように、自分に力のある内に、最低水準の生活をできるだけ快適にし、拷問なんかもっての他で牢獄の状況を改善し、死刑は廃止するかなるべく苦しまない方法で行うようにしておく」ということ(笑)。

自分がいつ、その集団や組織や世界の最低部分に落っこちてもいいように、何よりもそこの部分を快適にしておくこと。

それをめざして努力しとけば、だいたいにおいて、まちがわないんじゃないだろうか(笑)。

昨日はちょっと寝坊したら、せっかく咲いてくれた朝顔がしぼみかけて、いい写真が撮れなかった。まあどうせ雑草の中なんだけど、これでも少しはむしったんだよ。そんでもって、当初の計画通り、何とかひもにからみつき始めてるのはうれしいが、果たして台風の時にどうなるかだよなあ。

こんなにしょぼしょぼ一二輪咲いたのに歓喜している自分もアホだが、でも、引き出しの奥から見つけた、いつのだか咲くのだかわからない種の一袋を、とっくにまき時も過ぎた夏の終わりに植えてみたら、とにかくここまで育ったのだから、ついつい変に喜びたくなる。少なくとも新しい種はそこそこ回収できるはず。それをまた来年まけるはず。なんてことを考えてたら、西鶴のどの短編だっけの冒頭で、貧乏長屋の旧友を訪ねた金持ちの若者たちが朝顔の種を集めている老婆を見て、「来年も生きるつもりか」と驚く場面を思い出したりする。え、でもこの記憶たしかかな(笑)。何しろ、その婆さんの姿が身につまされるトシになるなんて、想像もしてなかったからな。

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カツジ猫