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昔の記事

あらー。

これまで何かのときによくリンクしていたのだけど、今日また引用しようとして読んだら、私のこの大昔の記事、なかなかいいわあ(笑)。これや、これ。とても今にふさわしいかもしれない。フランソワーズ・サガンの話もあります。

親バカ?かもしれないけど、ちょっと一部引用しておきますね。

つまり、政治的でも社会的でもいいけど、その作家のそういう姿勢や意見のもとになるものが伝わって来ない。ゆるがせにできない、その人の主義主張や実感がなくて、「何か、今の世の中じゃ、このへんの位置が自分かな」みたいに、周囲の色分け地図見て、自分のスタイルを決めてるような、あやうさつうか、もろさつうか、が常にある。
こういうのの一番やっかいなのは、今の時代もそうかもしれないが、世の中が右傾化でも何化でもいいけど、どっちかにどんどんぶれた時、中立、白紙、無色透明と言いながら、実際にはどんどん強烈な色の方に染まって行っていることに、多分自分で気づかないらしいことだ。

そして、この以下の記事の中で、私があげている名前の中の橋本治さん。あまりに早く亡くなってしまわれたけど、晩年というのも変なぐらいの、その最後の時期、積極的に明確に安倍晋三とそれにつながる政治と社会をとても壮大かつ精密に繊細に、批判しておられたことを、あらためて思い出します。

私の恩師の国文学者中村幸彦先生が、お酒の席で楽しそうに、橋本さんの学生時代の「とめてくれるなおっかさん」のポスターを東大キャンパスで見かけたとき、「あれな、はがして持って帰ろうか思てん」と語っておられたことを、生前に何とかしてお伝えしたかったと、今でも心残りです。

まあ、私は来世を信じませんが、あの世があるならきっとお二人、浄瑠璃や歌舞伎など、つきぬ話に時を忘れておられるでしょうが。

私は、ことあるたびに、呼吸のように、そのような政治的発言をしてきた、しかもすぐれた作品を生み出しつづけた作家たちや学者たちを思う。開高健、手塚治虫、ピカソ、オリバー・ストーン、そして宮崎駿もか。その一方で、すぐれた巨大で繊細な精神世界を持ちながら、いっさいそういう発言を直接にはしない作家や芸術家のことを思う。まあ、江国香織とか橋本治とか林真理子とか、あっという間にすごい人たちがいっぱい思い浮かぶんだけどさ(笑)。
彼らは「ナチス 偽りの楽園」のゲロンや、「風立ちぬ」の二郎とどこまで似ているのだろう。これまでも、これからも。

#国民投票法改正案に抗議します

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カツジ猫