星占いも危ないけどさ
最近あまりニュースをチェックしてないから知らないけど、何かあったのか、ただの統一協会がらみか、「星占いを公式の放送で流すなんて」というツイートを、ちらちら見るようになった。
たしかに私が子どものころは、公共の放送で星占いなんてなかった。社会人になって車の中で初めて民放だったと思うけど、星占いのコーナーを聞いたとき、私は世の中が染め変わって行くような不気味な衝撃を受けたっけ。今も、そのとき車を走らせていた、近くの道がどこだったかまで覚えている。何かが終わった。何かが変わった。そんな気がした。
私もおみくじは引くし、週刊誌の占いには軽く一喜一憂する。しょうもないジンクスもかつぐし、仏滅や13日の金曜日にはそれとなく用心をする。占いにはまる人たちにも別に抵抗感はない。テレビのバラエティ番組のその手の話も笑って楽しんでいる。ただそれが、公共の電波で天気予報や国会中継と並列に放送されることには、またちょっとちがった感懐を持つ。
しかし、もしかしたら占い以上に危険な気がして私の神経をさかなでするのは、変に科学的な資料を用いて、人生相談その他をやってる番組だ。最近の番組変更でNHKがたしか火曜日あたりに、脳科学の分野の女性研究者をメインにしてしきりと人の人生や社会事象を分析し指導するのが、とても落ち着かない。
どうやら著書も多いらしいし、世間では人気があるのだろう。言っていることにも、もちろんそれなりの調査結果や根拠はあるのだろう。だが、すべての問題にわたって、「女性の脳では」「男性の脳では」と切り分けて解釈して行くのが、とても落ち着かない。ジェンダーフリーや人権の立場から誰も注意しなかったのだろうか。腐ってもNHKの真っ昼間の放送だぞ。
かなり配慮もしているらしいのが、発言からはうかがわれるが、やはり男女の脳や身体の構造からすべての家庭内問題、職場の問題、社会問題、政治問題が説明できるという視点は大ざっぱにすぎるし、そういう発想が定着すること自体が、とても危険だ。
昔ボーヴォワールの「第二の性」を読んだとき、冒頭からいきなり男女の脳の大きさや重さについて分析検討されていたのに驚いて、ああ戦場はそういうところにもあるのかと思った。
中学校の教師をしていた友人が、尊敬する同僚が男女の差別をなくす教育をしている際の話で、「男の子には闘争本能がホルモンとして組み込まれているから、一段と暴力を規制する教育をする必要があるんだって」と聞いたときには、文字通り戦慄した。私が男性なら、どんなにか許せないし傷つくだろうと思った。男女平等の教育をしている立派な先生がそういう発想でいるということに、あらためて、つくづく教師は大きらいだと実感した。
もうひとつ気になるのは、そのNHKのラジオ番組だが、基本的に夫婦間や親子間の問題を「男女の脳はちがうのだから、怒ってもしかたがない、あきらめて許しなさい。その方が幸せになれる」という方向に常に誘導されていることだ。
この観点は江戸時代の貝原益軒が常に主張していたもので、特に新しくも珍しくもない。そして実際、家庭や職場や社会や世界の対立やいらだちは、このように「相手は異人種」「相手とは理解し合えない」と思ってあきらめることで、平和に幸福に解決できることも多いだろう。というかほとんどがすべてそうだろう。「相手はバカだ」とあきらめて見限れば、大抵のことは許せるし、幸せにもなれる。いやマジで。
しかし、こうした観点や視点で切り抜けようと決めた上司や家長がそれなりの人格者で有能ならいいが、たとえば職場の若手や女性のまっとうな提言や抗議を、「ああ、どうせ脳がそういう風にできてるんだから」とあしらい無視することなんて、どんどん日常化して行かないか。
今では普通に皆が知ってるパワハラだのセクハラだのが、まだ言葉としてさえなかったころ、「それが男の生理です。女には理解できない」という論理で肯定され許容されるのを、のたうちまわるような苦しみで私は味わってきた。これにまっすぐつながる道ではないのか。あの番組が提示する人生の処方箋は。
もちろん、この学者がやっている研究ではもっと微妙で複雑な要素がたくさんあるのだろう。しかしいかんせん、限られた時間の番組ではそんなことは述べるひまはないから、いきおい貝原益軒以上の、かいつまんだご託宣になるしかない。これに傾倒する視聴者の中に、「しょせん異性とは、多民族とは、話しても無駄、理解し合えることはあり得ない」という発想が浸透し定着するのは、あまりにもおぞましく危険だ。
大学でいろんな委員をつとめて、書類も書いたし資料も読んだ。その中で得た実感は「資料や数字は役に立つけど、目的次第でどうにでも解釈できるし真反対の主張にも使える」という実感だった。そのことも含めて、科学や資料や実感結果に私は常に懐疑的だ。よくよく慎重でありたいし、人間観や世界観という哲学で補完し検証しなければ使うのはよくよく気をつけた方がよい。
まあ私も、この番組のひそみにならって、自分がいらいらするぐらいなら聞かずにおけばいいだけのことという方策を実行し、おかげでNHKのラジオ放送とはどうやら縁が切れそうだ。しかし、こうやってかたちづくられる世の中が快適なものになるという未来を、私はまったく思い描けない。