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映画「ゲド戦記」感想(その2)。

そら見ろ、やっぱりこの分ではいつ映画の感想にたどりつくのか、まるでもう、私にもわからないのよお客さん。

で、あとでまた、むしかえすかもしれんけど、一応がらっと話を変えて、映画の話に持って行く。
私はこの映画を公開当時見ていない。何でも、ものすごい不評だったというんだけど、そのことは覚えてないし、見なかったのはそれが理由じゃない。私ともあろうものが、他人がほめるからって映画を見に行ったり、悪口言うから見に行かなかったりすると思うかね。どっちかと言うと、けなされてる映画なら見に行く。

だから、見なかったのは当時の不評のせいではない。単に忙しかったか何かのせいだ。
最近DVDで見たのは「コクリコ坂から」を見て、面白かったしよくできていると思ったから、同じ監督の前作も見てみようと思ったからで、はっきり言って非常に好きだったし、酔いしれた。「コクリコ坂から」よりも好きだったし、よくできていると思った。ついでに言うと、「アリエッティ」や「ハウル」や「千と千尋」よりも、ずっとよくできていると思ったし、楽しかったし快かったし好きだった。

そこまで言うかとか、またじゅうばこのあまのじゃくがとか、思っている人は多いだろうが、別に誇張しているのではなく、これは私の実感である。
理由はおいおい、また話すとして、それでDVDを見て小説を読んで、時間が経過するにつれて、最近私がつくづく痛感しているのは、この監督(宮崎吾朗)は、大変強い精神力と優れた才能をあわせもった人にちがいないということだ。

「ゲド戦記」はすばらしい映画である。世紀の大傑作か、歴史に残る古典かと言われれば、それはちがうかもしれない。しかし、むしろ、そういう評価や基準とは別に、きっちり一つのスタイルを持ち、破綻なく高い完成度を持った、大変すぐれた作品である。硬質な宝石のように、密度が高く無駄がない。好みはあるかもしれないが、たとえばすぐれた職人や芸術家の作った茶碗のように、人を魅入らせ満足させる。
小品、とか、佳品、とかいう評価も、近いようでまちがっている。「コクリコ坂から」もそうだったが、地味なようで磨きこまれているし、材質が高級だし、内包している世界観やスケールは大きい。こじんまりしているようで、卑小な感じがまるでしない。太古の生きものを閉じこめたコハクのように、世界を映し出す水晶玉や万華鏡のように、小さいが巨大なものが凝縮されている。

どこがそうかは、またあとで書く。私が言いたいのは、監督がすぐれた芸術家であるなら、そして当然これだけのものを作れるからには、すぐれた芸術家であるわけだから、すなわちすぐれた批評家でもあり、自分の作品の価値はよくわかっていたはずだということだ。
それが酷評され、全面的に否定され、失敗作と言われたときの、動揺と混乱と、根本的な価値基準の見失われ程度(何ちゅう表現か)は、どんなものだったかと思うと、想像しただけでこっちが背筋が寒くなる。

私もものを書いてきた。これはまちがいなく傑作と思っても、そのような評価が与えられなかったことは多い。くやしいとか残念とかいう以上に、自分の判断力、批評家としての目はまちがっているのかという不安と当惑がいつも大きかった。
もっとも私の場合は、時間がたてば、なるほどそこは自分の欠点にちがいなかったと、わかることもまた多かった。また、結局は自分の作品が受け入れられない理由は、こういうことかと理解でき、自分がまちがっているのではないと確信することも同じくらい多かった。

だが、「ゲド戦記」ほどの作品が、賛否両論でさえなく、圧倒的にけなされ葬られたのは、あまりにも異常であり、正気の沙汰とも思えない。そもそも、実際どの程度、どういう理由で批判攻撃されたのか、私はネットでさがしてみたが、結局のところ、あまりよくわからなかった。私が今見て、この作品を高く評価する理由と、どこがくいちがっているのかさえ、はっきりしなかった。
だから、当時の悪評といっても、それは少なくとも監督が見て納得できるようなものではなく、打ちのめされるようなものではなかったのかもしれない。まあ、それはそれで、そんな納得いかない批評で否定される虚しさや口惜しさは生むかもしれないが。

とにかく、自分の体験や、現在や未来とも引き比べて、私はこれだけの作品を作り出したのに、それを正しく評価されなかった監督の気持ちはどれだけのどんなものだったかを思いやって戦慄し、彼がそれでおかしな方向へ走ることなく、「コクリコ坂から」という、私に言わせれば「ゲド戦記」の水準と本質をそのまま保った作品を、再度作ってくれたことは、奇跡に近い強靭な精神力と、たしかな技術の証明だと思い、そのことに何だか深く感謝している。何かこう、比べ物にならぬとはいえ、自分自身のこれからの生き方や仕事の励みにもなりそうな気さえする。

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カツジ猫