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映画「ゲド戦記」感想(その4)。

◇キャラママさん。
どういたしまして。わりこみ歓迎です(笑)。

◇さて、感想のつづきです。
どれだけの方が見て下さってるのか知りませんが、ここまで前置きだらだらとひっぱったら、かなりの方が、またよっぽど、じゅうばこがすごい解釈をして妙な理屈をつけるんだろうと、期待されてるんじゃないかと思いますが、ごめんなさい、この作品に限って、そういうことは何もありません。私の今回の感想は、確信にみちていますが、すごっくジミですから、ええ(笑)。

私はどうということもなく、わりと冷静に見始めたのですが、しばらくして、ああ、無駄がないなあ、さっぱりしてるなあ、何となくいい気分だなあという感想は抱きました。
正体不明の疫病が広がり、世界の何かが病んでいて狂いはじめていて、それに対策をねる支配者たち、という導入部も、この時期見るとやっぱり震災を意識してしまうなーなどと感じながら、まあ誤解を恐れず言うと、その感覚も楽しんでいました。

あ、もう全部ネタばれですからね。多分。

冒頭の殺人もおやまあとは思いましたが、まあそんなこともあるのかと(笑)。
今思うと、このあたりからすでにちょっと、感覚がおかしくなっていたかもしれない。
この映画、原作とちがう!という文句を除けば、よく言われているのが説明不足という批判で、まあそうなのかもしれませんが、これが下手で未熟だからなのか、計算された手法なのかは難しいところで、全部が周到な計算なのではなくて、時には実際未熟な失敗もあるのかもしれませんが、でも多分ないのではないかなあ。

好意的に見過ぎと言われるかもしれませんが、私はかなりはじめから、この映画は説明なんかしない気だなと気づいたような気がします。何かもう、とんでもないこと、異様なことが起こっているけど、まあ一応映画として成立する最低は、説明しとくけど、それだってかなり簡単で雑で工夫もなく投げやりで(おまえはいったい、ほめてんのかいそれ、と言われそうですが)、なんかもう、そういうところは本気でやってない映画じゃないかと思ってしまったのです。

「ぼくは実は実体から追い出された影なんだ」とか、「あなたが恐れてるのは死ぬことじゃなくて生きることだわ」とか、どれもそりゃ、重要なことばで、決めぜりふにはちがいないけど、それが実にもう、何の芸もなく、ぺらっと、でもないけど、さらっと説明されてしまう。ほれ、これだけ理解しとけ、とりあえずな、という適当さで。

二人の若者の心が通い合い、彼らが力をとりもどす場面にしても、恥ずかしいほど型どおりの、古臭いお約束としか言いようのない、回りの風景が消え、光がみなぎる、みたいな演出で、わざとみたいにかたづける。おまえ(監督)、照れたのか、やけになったのかと、唖然とするような手抜きかげんの、やっつけ仕事(だから、いったいほめてるのかおぬしは、と言われそうですが)。あれを本気でやってるんだとしたら、まったく正気の沙汰ではない(笑)。

あ、やっぱり、かなりどんどん、私らしいこじつけになってるかもだなあ、まあいっか。

きっと、これが駄作だと言う人たちは、ああいう場面見ていて、狂ったように腹が立ったんでしょう。わかります(笑)。怒って当然でしょう。何で、この大事な場面で、この気の抜けた盛り上がらなさは何なんだと。ここを見るために高い金払って劇場に来たんだのにと。

だけど私は、ああいう場面で、全然まったく失望も不満もなかったのです。ああ、そうそう、そこはそのへんにして、とっとと先に行ってくれと思ったのな、心の底から。うんうん、その程度で十分、やっときゃ十分、はい次、はい次と思ってた。
多分きっと監督は、あんな場面はどうでもよかったんです。と言うのがあんまりなら、なるべくさらっとすませたかったんだと思います。何の盛り上がりも熱意もない、クライマックスの数々は、「ここがないと映画にならないから、作っておくけど、ここはポイントじゃないんです」という、メッセージだと思うんですよ、監督の。

しからばどこがポイントなのかというと、別にポイントなんかない映画だと思うんですよ、これは。
しっかし、いつものことながら、無茶言うとるなあ、私もまったく、我ながら。

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カツジ猫