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映画「コクリコ坂から」感想(その2)

…とか言ってたけど書いちゃうか。あんまり長くはならないはずだし(ほんとか?)。

いまさら断るまでもないが、私はあらゆる映画をめちゃくちゃ深読みするくせがあるので、これもまた考えすぎだと言われるかもしれないけど、知ったこっちゃないわ、楽しいんだから♪
もちろん、とことん、ネタばれですからね! ご注意を。

ヒロインの少女、海(愛称メル)は、朝からせっせと家族の食事を作ってる。彼女は高校生だから、自分のお弁当なんかも当然作る。
実はもう、そこで私なんかは、あー、そうか、これって女が家族のメシを一人で作るのがあたりまえだった時代なのか、まー、しかたがないよな、そういう時代だったんだからな、となかばあきらめつつ、そーゆー風景を見せられる不愉快さに耐える心の準備をちょっとする。えー、フェミニズムやら平和思想やらにこだわってる人間は、何かといろいろ忙しいんでさお客さん。

ところが、つぎつぎ起きてきて、メルの作った朝食をどさっと座ってかきこむ家族や下宿人は、これが何と女ばっかし。男がいない。あれ?と思って、ひとまずちょっと安心しつつ、ここでもう私は、何だか油断ならない映画だと(悪い意味ではないけどね)、ちらと思った。ほんとです(笑)。

その女のタイプというのが、これまた実にさまざまで、派手なの地味なのキャリアウーマンっぽいのオタクっぽいの、子どもからばあさんまで、あらゆるタイプの女性がそろってる。共通するのはただひとつ、当然のように平気で、メルさんにサービスさせて、メシかっくらってるところだけ(笑)。

私は「ゲド戦記」も見てないし、この監督のこと何も知らないけど、この行きわたった、すきのない「メルにメシを作らせる」ってことで、どの女性も例外はないっていう描き方に、なんかもうウディ・アレンなみの細かい神経を感じました(と、だんだん話が大げさになる)。しかも、ウディ・アレンだと、そのすきのなさが見えすぎて「あんたうますぎる、いきとどきすぎる」って息がつまるのに、この監督はそれがなく、一見さりげなく何も考えてないように自然なのが、ますます油断できない(いい意味でだよ)と気をひきしめました(笑)。

その行きとどき方は、彼女の父親の世代の悲劇にもあって、お父さんの死んだの朝鮮戦争ですよね。彼女が恋する少年の両親はピカドンつまり原爆で死ぬんですよね。
いわゆる日本の良心的反戦映画で、原爆の悲劇は山ほど描かれてきましたが(それでもまだ十分とは思わないけど)、朝鮮戦争にしかもアメリカ側で(って日本ならそれしかないけど)参加した人の悲劇って、これまでこんなにおおっぴらに描かれたことあったっけか。

ちょっととばっちりみたいな、ことのついでの悪口を言うと、私は「阪急電車」の映画というより原作のアホらしさがたえられなくて、とことんけなしたくて、すんでのことでやめてるんですが、そのやめてる理由のかすかなひとつに、作者の有村浩が自衛隊の若者たちの恋愛小説を書いてる、ほとんど唯一の作家ってこともあるんですよね。
こんな、しょーもない世界観や人生観しか持ってない作家に、よりによって描かれる自衛隊はほんとに運が悪いと思いつつ、しかし、この作家以外の作家が、これまで自衛隊の若者(年よりも)をまったく描いてこなかったこと、日本の現代に、この集団が存在していないかのようにふるまってきたことに、ものを書く人間として責任の一端をすごく感じさせられてるからです。

自衛隊こそ、ある意味では日本の戦後の象徴であり、そこにいる人たちがどのように考え、生き、愛し、悩んでいるか、それをまっとうに書くことは、現代を見つめる上で欠かすことができなかったのに、私も含めて作家たちの多くが、それをサボりつづけていた。
だから、私は「阪急電車」の作家を攻撃できない。と、こう書いてみると、あんまり理屈に合ってませんが(笑)、まあ気分としてはそんなもんです。

で、「コクリコ坂から」は、原爆と朝鮮戦争という、どういうかアメリカがやった行為と、そのアメリカに協力した行為と、両方の被害者の悲劇を、父たちの時代に登場させているんですよ。
バランスがよすぎるってことばで片づけるのも、どうかとは思いますが、そこにもまた、目配りと気配りがある。ありすぎる(あっていいんですが)。

わ、やっぱ長くなりそう。いったん切ります。

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カツジ猫