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映画「ディバイナー」感想。

◇ええっと、これ実は「ラッセル・クロウ・ファンサイト」の方に書いたんですよ。でも、私がのたのたしてた間に、映画の公開が終わりそうになってしまって、あちらでアップされるのが遅くなってはいけないと、こちらでもアップしておきます。一人でも多くの人に、この映画を見てほしいから。
ファンサイトの方で見られるようになったら、この記事は消して、そっちにリンクします。
あーでも、ファンサイトに書いた記事なので、いささかミーハーっぽくなってるかもしれません。そこのところは、ご容赦を(笑)。

以下が、感想です。

何から書いたらいいのかわからないので、とりとめもなく書きますが。
ネットで見るとこの映画の評判わりとよくて、でもその中で誰かが、「たいがい俳優の初監督というと、小品から始めるものだが、いきなり大作というのがラッセルらしい」と書いていて、笑いました。
ほんとにそうで、大変なスケールの大きい、中身も濃い映画です。「風と共に去りぬ」なみの壮大さです。それでいて、決して雑ではない。きめこまかで、流れも悪くない。

ディバイナーとは、木の枝とか持って歩いて、地下水のありかをさぐりあてる人のことで、そういう専門家がいるのは知っていましたが、ラッセル演ずる主人公もそういう能力を持っています。そして、ガリポリの戦いに出征して、トルコで戦死した三人の息子の死体を探しに行くのですが、もちろん広い戦場で、そんな遺骸が見つかるわけはない。しかし彼の特殊な能力は、水だけでなく、息子たちの死に場所もさぐりあてるかもしれない…みたいな感じで、どこかちょっと神秘的というか、おとぎ話めいた感じがあります。

でも決してそれが不自然じゃないし悪くもない。
私はたくさん見てるわけじゃないけど、ラッセルのに限らずオーストラリアの映画を見ていていつも、土の香りがして暖かいと同時に、変な悪ふざけみたいな独特の夢物語的な風味があるなと、思っていました。
この映画にはそういう味わいがあって、それが何だかとてもなつかしく、とてもうれしかったです。ああ、ラッセルは俳優としてだけじゃなく監督としても、決してハリウッドのまねごとをしたり、それに染まってしまったりせずに、故郷のニュージ-ランドやオーストラリアを大事にして、その土地の心を持った映画を作ったのだなあと思いました。

彼は「日本の皆さんへの手紙」の中で、「これは戦争映画ではなく、戦争の後の映画です」と言っています。その通りです。その意味が見ている間中、よくわかりました。
戦争はいったん起これば、その傷口は長いことふさがらず、新たな痛みとなって火を噴きます。残された人の嘆きは敵も味方も共通で、送りだした者の嘆きと後悔は深い。

回想場面で登場する息子たちの最期の場面は衝撃的です。たくさんの戦争映画を私は見てきましたが、特に目新しいことをしているわけでもないし、特殊撮影をしてるわけでもないし、爆薬だってそんなに使ってはいないと思うのに、その悲惨さは切実です。

最近、海外ドラマの「ナポレオンソロ」にちょっとはまって気軽に楽しんでいるのですが、それでうっかり慣れていた、お遊びみたいな拷問や、あっさり倒れて死んで行く人たちとちがって、現実の戦場では、普通に負傷しても人はそう簡単に死ねるものではなく、死ぬことさえがものすごい拷問になりかねないという、あたりまえの事実を、こんなに静かにていねいに教えてくれた監督はいません。

声高なアピールや、ただ暗く悲惨な映像ではなく、すべてが暖かくて物静かで愛にあふれていて、だからこそ、とても悲しい。

戦争で痛めつけられるのは人間だけではありません。
私は「アラビアのロレンス」に、はまりまくった世代ですが、あの映画の中でロレンスをレイプしたかもしれないトルコ軍、そして感情的に虐殺に走るロレンスに殺されて行くトルコ軍ですが、まさに「ディバイナー」の映画でラッセルが息子たちをさがして旅するのは、そのトルコで、そしてロレンスの活躍もあって第一次世界大戦で敗者となったトルコは、その後列強や近隣国の食いものとなって侵略され、土地を奪い合われます。その中で危険を冒して息子たちを探す旅をするラッセルを見ていると、ああ、ロレンスも怒っていたように、あの戦争は先進国が中東諸国をいいようにした戦後だったと思い出し、それが今日の中東問題の原点の原因だったと思い出し、ついでに「ミュンヘン」の映画も思い出し、その主演のエリック・バナがヘクトルを演じた「トロイ」も、ここトルコの地にあった都だと思い出し、結局そうやって、ずたずたにされて行くトルコの村や町の、でもその間の一瞬の平和さや美しさが目にしみる。

多分でもそんな知識がなくても、映像で、すべてが伝えられてくるでしょう。戦争は悲惨だけれど、その後はさらに別の悲惨があり、でもその中でも人間は高潔で勇敢で優しくて美しい。

たとえば「イングリッシュ・ペイシェント」とかの描き出す世界とも似ているのですが、あんなにひりひり痛ましくない。ラッセルは、いい意味で大衆的な泥臭い面をこの映画に加えています。とても深刻な問題を取り上げていながら、どこかで大らかな冒険ものや恋愛ものみたいな展開を忘れない。そしてそれが、全然とってつけたように見えないで、しっくり深刻で悲惨な部分とつながっている。

ラッセルは、そんなこた言わんでも見ただけでわかりますが、健康な人なんだなあと思います。自分が今、年取って何かと体調がよくないからよくわかるのですが、病んでいる人や身体の弱い人には、こんな映画は絶対作れません(もちろん、別のよさを持った映画は作れるでしょう。そういうのはラッセルには作れないでしょう)。ステーキ食って酒飲んで、労働してる、勉強もばりばりしてる、多分女の人とも男の人とも楽しくつきあってる、そういう丈夫な胃袋や心臓の人にしか作れない、暖かさや優しさや力強さが、どの画面にもあふれています。

映像が本当にきれいです。出演する俳優も子どもから女性から青年から、皆ぜいたくに目の保養になる美しさです。建物も風景も息をのんでうっとりするほどです。
でも、それだけでは映画はだめだってことは、大作と言われるいろんな映画を見てると痛感することもあるわけです(「シェルタリング・スカイ」の風景は私にとって、まるで箱庭の作り物みたいにつまらなかった)。絵葉書やカタログ見てるような薄っぺらい画面の連続になることだっていくらでもある。
「ディバイナー」は決してそうじゃない。美しい場面の数々は、ちゃんと全体の流れの中で役割をにない、

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カツジ猫