1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 映画「ハリー・ポッターと死の秘宝(Part1)」感想3(とはとても言えない無駄話)

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝(Part1)」感想3(とはとても言えない無駄話)

ところで、その「悪が次第に強くなり、正義が追われてさまよってゲリラ化する」って展開なんだけどさ。
「ハリー・ポッター」シリーズが原作でも映画でも偉大なひとつは、学園ドラマの多くが洋の東西をとわず、「そんでおまえら、いったいいつ勉強してるん?」と言いたくなるようなのに比べて、授業や試験のことをとことん話の中心にすえてることですね。魔法学校とはいえ、だからこそ、「学生は勉強するもの」「優等生はえらいもの」ということをしっかり描いてみせている。

子どもや若者が安心して勉強できるということが、その世界の安定であり幸福であるということが、徹底して描かれている。いろんな方針のちがいや、それなりの悪役がいても、対立があっても、寛大で有能な校長によって、それはすべて存在を許されている。
この物語の主人公は、ある意味ホグワーツ魔法学校そのものでもあって、それが変質し侵略され崩壊していくさまが、巻を追って、じりじりていねいに描かれている。
2ちゃんねるかどっかの書き込みで、学校の管理化に大きな役割を果たす、ピンクの猫おばさん先生を「日教組」と呼んでるのがあって、やれまあ韓国と日教組は気に入らないものをとりあえず呼ぶときの一種の符牒にもなってるんだなと笑った。日教組の功罪は長くなるからさておくとして、どう考えてもあのピンク先生は、日教組をつぶしにかかった管理体制そのものである。ただまあ、実際の女性の先生には外見もふくめて一見あのタイプの人は日教組であろうとなかろうと、ほんとに多いので、まあそういう連想が働くのも無理はない面もあるだろうな。それはともかく、日教組が多分きらいな人が、あのピンクおばさんを日教組と呼ぶからには、何と呼ぼうと、あのような存在をおぞましくうとましく思う精神は健全だなと、たのもしく思った私も変かしらん(笑)。

とにかく、あの猫ピンク女先生を典型にして、ホグワーツは抵抗をくりかえしつつ弱体化し敵の手に落ちてゆく。その恐怖と無念、それに対して戦うことの必要性と困難さを小説と映画はあますところなく描き出すのだ。小説にはあった数多くの楽しいエピソードが時間の関係で映画ではばさばさ削られる分、もうその部分の印象だけが中心の映画になっていると言っても言い過ぎではない。

これこそもう無駄話だが、これほどの悲壮感と絶望感を美しく漂わせた映画というと、私はもうどうしても思い出すのが、チリのアジェンデ民主政権の崩壊を描いた、「サンチャゴに雨が降る」だ。今ではもうDVDもなく、「特攻要塞都市」という変な題名で昔DVD化されたのが、どっかに残ってる程度らしいが、これはもう名画である。絶対に復刻して、ちゃんとした名で売ってほしい。私がこれまでに見た映画の中のベストテン、もしかしたらベストスリーに入るだろう。

私がこの映画を見たのはたまたまで、資料調査で東京の図書館に行ったとき、ホテルへ帰る途中の新宿駅の近くで、巨大な看板に大勢の人が集まって両手をあげているようなポスター(というには巨大すぎるが)があって、タイトルが大きな字で書いてあった。なぜかひかれて、その夜か翌日か見に行って、たしか二度見た記憶がある。
チリは世界で初めて流血をともなう暴力革命ではなく、民主的な選挙で民主政権が誕生した。それがアジェンデ政権だが、アメリカは自国の影響が弱まるのを恐れてCIAその他によるさまざまな攻撃を行い、ついに軍部がクーデターを起こす。そうやって作られた軍事政府(ピノチェト政権)のもと、アメリカのジャーナリストもふくむ多くの人が理由なく拘束され投獄され拷問され殺戮されたことは、五木寛之「戒厳令の夜」の小説やジャック・レモン主演の映画「ミッシング」など多くの作品に描かれている。著名なギタリストのビクトル・ハラもクーデター時に虐殺され、両手を切断されて殺されたという報道もあった。

そういう映画も小説も読んだし見たし、その後のいろんな当時のドキュメント映画も見たが、それらのどれにもまして「サンチャゴに雨が降る」は傑作だったと私は思う。
これは、軍事クーデターと軍事政権に抗議して世界各国の映画人がボランティアで作った映画らしいのだが、そういう明確な抗議の意志で作られた映画なのにも関わらず、映画としてもとてもよくできていて、魅力的だった。

Twitter Facebook
カツジ猫