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映画「猿の惑星 創世記(ジェネシス)」感想(2)。

キャラママさんもゆきうさぎさんもそうだけど、私たちは皆、学生運動をした世代で、革命をめざした世代で、デモやいろんな運動をした世代で、さらに、フランスレジスタンスやフランス革命やロシア革命や日本の社会主義運動、平和運動に関する古今東西の小説や本を読みあさった世代だ。

もう今はないのかもしれないが、私たちが学生のころ、福岡の日本共産党の事務所のそばには、小さな本屋があって、そこではいわゆる民主書籍というような、マルクス主義の本だとか、社会主義の文学だとかがおいてあった。そういう世界文学全集みたいな、薄いけどしゃれたソフトカバーの装丁の本があって、私はそれが好きで、よく読んだ。今思っても、それらの小説の水準はとても高かったと思う。

第二次大戦中、戦時下のドイツに潜入して抵抗運動を行うドイツ人の青年男女を描いた「愛国者」や、キューバ革命前夜を描いた「ベルチリヨン166」とか、スペイン戦争に参加する各国の人たちを描いた「義勇兵」、アフリカやその他の地方のさまざまな革命、抵抗運動を題材とした小説類、どれも面白く、人間への愛と信頼にみちて、限りなく悲惨なのに、生きる確信と力を与えてくれた。私はいろいろあって、学生運動も革命も、全然好きではなかったが、それでも、あの小説群は愛したし、私のそれらの日々もそれにつながるものだったことを幸福に思っている。

スペイン戦争に参加して料理当番をつとめていて、オリーブの木の下で戦死したジャッキー白井という日本人がいたのも、デモ隊へのホースの水で、のどを砕かれて死ぬことがあるのも、私はあれらの小説で知った。

小説だけでなく、さまざまな映画も見た。虐げられた民衆が団結して立ち上がり、攻撃され、分断され、それでもわずかな成果をおさめ、それによって人類の尊厳を守り、歴史を前進させるのを。
私たちが、社会党が政権を取るころから言われはじめた、「権力を持っていて上に立たないと、よいこともできない」という発想に、「はあ?」とあっけにとられ、いまだにさっぱり理解できないのも、あれらの小説や映画のせいである。敗北しほろびた少数派こそが、大きな影響と成果を与えて、何かをくいとめ、何かを守り、何かを前進させてきたことを、私たちは肌身を通すようにして知っていた。戦後の日本でも人類の歴史でも、支配者と権力者が作ったのではなく、それに抵抗し逆らった人たちとの共同制作であるという感覚は、私の中に根づいて消えない。

でもまあ、私のこういう感覚も時代による洗脳かもしれないし、今の時代にはまた新しい感覚もきっと必要なんだろう。
と言いつつ、私は少なくともアメリカのハリウッドの、良心的社会派映画というのを見るたびに、もーのすごくイライラしまくり、心の中でぎくしゃくする。「ミシシッピー・バーニング」とか「スタンド・アップ」とか、もろ虐げられた者の解放のための戦いが描かれる映画ほど、もう見ていて座席で死ぬほどカリカリする。えーい、そこでそうしてどうする、そこでああしなくてどうする、あーもう何てバカなんだ、あーもう、そこで怒ってもしょうがなかろうが、あまーい、手ぬるーい、えー、そんなんでうまく行くのか、あほらし、待てよ、あの件はいったいどうなったんだ、ウソ、そんなんで解決するわけなかろーもん、えー、そんなんで満足すんのか、ちょっともう、そこで深刻になってどうする、あー、時間が惜しい、わー、何と乱暴な、そんなんで、うまく行くわけなかろうもん、え、あんたいったい何がしたいの、はー、そんな理屈が通るわけなかろうもん、この相手にそんな無茶言うて、どうすんねん、などなど、ほとんど数秒おきに主人公たちのピントのずれ加減にくたびれまくる。

私だって時代遅れの老軍人みたいに、「今の若いもんは」「わしの若いころは」なんて言いたくないから、何かこういう新しい映画から、学ぶべき戦いの精神、生きる方法などが見つからないか、新しい発見をして感動できないかと、せいぜい素直になろうとしている。それでもだめだ。毎回ただもう、ものすごく頭の悪いへまな試合を見せられたようで、欲求不満におちいってしまう。

あ、抵抗や革命の文学ばかりじゃなかった。私は軍隊や戦争小説も実は相当読んだし、映画も見たのだ。肉体的には今も昔も絶対ついて行けないが、そのしくみや精神は、一応かなり理解したつもりでいる。そういう目で見ていても、「そこが手ぬるい」「あそこはちゃんと押さえたのか」と、やたらめったら気になるのだ。ことハリウッドの社会正義的良心的映画では。

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カツジ猫