映画「福田村事件」続き
ネットでの感想を見ていると、すごく衝撃を受けて、立ち上がれなかったとかおっしゃっている方もおられて、私のようなのんきな感想は予想もしたけどむろん少ない。でも、「エンターテインメントとして成功してる」「俳優さんたちが魅力的」みたいに楽しんでおられる方もけっこうおられた。この方の感想とか、ちょっと近いかな。楽しんでおられるって点で。
私は最近映画を見る時間があまりなくて、もともと邦画はめったに見ないので著名な俳優さんも、ほとんど知らないのです。でも、とんでもない有名な人たちが結集してるようだし(井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、コムアイ、木竜麻生、松浦祐也、向里裕香、杉田雷麟、カトウシンスケ、ピエール滝、水道橋博士、豊原功補、柄本明、…って、チラシを写しただけなんですけど。笑)、この人たちの誰かのファンだったら、絶対見に行って損はない。というか、見なきゃ損です。
私のように、それぞれの俳優をほとんど知らない人間でも、見ていて、誰もがどの役にもしっくりはまって、しかも俳優として花があって魅力的なのです。
私は柄本明さんは実は少々苦手で、どの役でもちょっとうんざりするのですが、今回は哀れでみじめで、しかもしたたかな老人が哀しいほどにはまっていました。したたかっつっても、そうするしかなかった、人間としての悲しみが根底にあって、それは、どの役にも共通していました。醜くても、ひどくても、皆それぞれに「あー、そんならしょうがないか」と、ため息つきながら認めてしまいたくなる要素がある。
永山瑛太さんは、古すぎる話ですが「電車男」のひきこもり青年のみずみずしい演技が記憶にあって、その魅力を残したまま、こんなにカッコよく円熟した役者になっていたのかと喜ばされました。行商人の田舎者にしてはきれいすぎると言う批評もありましたが、この役はそれでいいのだと思います。そして彼もまた純粋に正義の味方ではなく、詐欺師めいたことをして弱い者をしいたげながら、決してそこで開き直らず、よい人間であり続ける努力もやめない。それもまた、とても私たちをはげまします。
殺戮の場面が過度に残酷に見えない理由もいろいろ考えたのですが、ひとつは殺される人々がひとまとめの弱い無垢な子羊なんかじゃなく、一人ひとりがそれぞれに、こうした弱さと強さ、醜さと正しさのような幅を持っていて、各自が皆ちがっているし、当然ながら村人の尋問に対して、ふてくされた態度などの抵抗も見せるから、一方的な蹂躙じゃなく、戦いの結果の戦死に見えるんですね、ちょっとだけ。もちろん一方的な蹂躙なんですけど、殺される側の心や状況がちゃんとわかるから、その分つらいけど、虫が殺されるような陰惨さがない。
どなたかも感想で引いておられましたが、その昔、私がはまったアメリカ映画の「ソルジャー・ブルー」という、ベトナムのソンミ事件を意識して騎兵隊の先住民虐殺を描いたのがあって、キャンディス・バーゲン主演の豪華な映画でしたが、集落の襲撃と虐殺は相当残酷なショットをはっきり入れていました。終わったあとで、ショックで泣きじゃくりながら出て来た若い女性もいました。「福田村事件」は、その点ではとてもこまめな配慮をして、ショックさをやわらげてくれています。
もうひとつは、彼らが逃げ惑って追いつめられて殺される森や河原や土手の風景が、普通の村なのですが、とても色彩や映像がきれいなのです。それも救いとまでは行かなくても残酷さをやわらげているような。
私は黒澤明監督の作品はどれも好きですが、たとえば「夢」の中で少年がお雛さまたちの幻想を見る場面、枯れ草の土手がちっともきれいじゃなく効果も生まず平凡なのが、同じような田舎で暮らしていた身としては、とてもものたりなくて、残念でした。何か意図があったとも思えないのですが。映像処理をしまくっていた映画にしては何を表現したいのかわかりませんでした。
それがこの「福田村事件」は、村の中も、家の中も、それを取り巻く自然も、特に美化していないのに、どれもがとても美しい。私自身の思い出の中の田舎の村や、今、趣味で書いているファンタジー小説の舞台の村とも、自然に重なって来るような、みずみずしさと重々しさがある。
特に、利根川と、その岸辺の風景が、草の一本まで目を洗われるようにきれい。そこに常駐する船頭さんの東出昌大が、これまたきれい(笑)。行商人と同様、船頭にしちゃすっきりしすぎて、汗臭さや泥臭さがないんですけど、これも確信犯で、これでいいんだと思います。これでなくちゃと思います。行商人も船頭もそうなんですけど、それでいて、荒々しさや生活感もちゃんと伝わるのが、演技のせいか演出のせいか両方かわかりませんが、それもすごい。
あとちょっと、都会から来た夫妻と村長さんと、女性たちについても書きたいんだけど、時間がなーい! というわけで、明日にでも、また少しだけ続けます(笑)。