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映画「福田村事件」続きの続きの続き(笑)

一応、絶対、感想はこれでおしまい(笑)。

女性たちの描写について、いくつか。

男性が出征したあとの村で、妻たちがどう生きたかっていろんな作品で描かれてきましたが、この映画は特に、そこで淋しさに耐えきれず夫を裏切ってしまう妻の話が目立つ。これがどのくらい現実の反映か私にはわからないし、だいたい調査したってどうしたって正確なことは知りようがないことだと思う。でもイタリア映画の名作「マレーナ」にしたってそうだけど、殺し殺されに行く男性とともに、残されてさまざまな苦悩に耐える女性の問題も絶対にあるわけで、それを当然のように村の日常に溶け込ませているのは、ある指摘として重要だろう。

ただその女性が開き直って皆の前で、そうそう自分の欲望を主張するだろうかという疑問もちらっとはあるかもしれない。だが、むちゃくちゃ言うと、こういう点では村って何でもありなんだよなあ。とんでもない事態は都会以上にいつだって起こる。そういう点ではなめちゃいけない。

その点は新聞記者の若い女性が、公然と上司に反抗したりするのも、不自然と思う人もいるかもしれないけど、これまた、当時は大正デモクラシーの時代でもあるわけで、正義感やら人権意識は、持ってる人はこれまた今とちがって過激で大胆ってこともあるからなあ、といちがいに否定はできない気もするのよね。今だったらあり得ない行動や発言も、当時はかえってあったんじゃないかって気がする。

ただ、前半までいろいろな対立や立場のちがいはあるにせよ、村の女性たちはおおむね落ちついていて冷静で。たとえば「二都物語」のマダム・ドファルジェをはじめとした革命派の女たちのものすごさやら、「緋文字」冒頭のおばさんたちの過激さやら、女性たちの群衆の恐さったらすごいって印象がある私は、こんな時の村では愛国少女や愛国おばさんの存在ってないわけがない気がしてた。女性が純粋とかいうのは、そのまま狂信にもつながるし、母(ミッション系の短大に行って、キリスト教とも親しんでたのに、「アメリカ兵が降りてきたら竹槍で突き殺そうと思っていた」と言ってたのよ)や田辺聖子さん(軍国少女だったみたい)の思い出話からも、そういう気配は充分にうかがえる。

その点では、女性をちっと美化してないか?と思いながらずっと見ていた。そしたらクライマックスであれだもん、まあなあ、こういうこともあるよなあ、そのための伏線としちゃ完璧かも、と思ってしまった。

あと何だっけ、また思い出したら書きます。

この映画、あらゆる点で「ゴドーを待ちながら」なみに象徴的な映画だと思うんだけど、これはそもそも事件自体がそうなのよね。つまり、殺される被差別部落の人たちは、日本人として差別されてるけど、朝鮮人よりは自分たちは上だって感覚も、絶対あるわけで、だから朝鮮人とまちがわれたってことがそもそも、すごく侮辱だし遺憾だし、その分、安心感もあったはずなんですよ。現実の事件でも。

映画ではもちろんリーダーがそこのところはきちんと、「朝鮮人なら殺してもいいんかい」という根本的に正しい意識を持ってるんだけど、他の人たちは皆がそうじゃないし、どう言ったらいいのかな、自分たちは立派な日本人なのに、朝鮮人にまちがわれてるって言うのは、すごく不愉快な一方、余裕もあったはずなんですよ。だから恐がってないし、危機感がないし、だからふてくさって反抗的な態度もとってる。

以前、同和問題について話しあったとき、「同和地区では天皇の写真を飾ってる家が多い。日本人っていう誇りがあるんです」と言われて、「天皇制を認める限り、被差別部落の存在も否定できないじゃないか」という理由で幼いときから天皇制を否定していた私としては、はああと、ことの複雑さに感無量でした。

だから、この事件って、「自分はそんな殺されるみたいな存在じゃない、被害者になるわけない」と、すごく自信を持っていた人たちが、自分たちがまったくちがうと思っていた、そういう存在にされてしまう、ってことで、それは現在でもいつでも、あり得るし、あってることですよね。大ざっぱに言うと、自分は今の社会で最底辺じゃない、貧乏人じゃない、と思いこんで安心してる人たちだって、そうでしょう。

今のところはそれくらいで。まだもうちょっと福岡では上映してるみたいだし、今からあちこち回るでしょうし、近場に来たら、ぜひぜひごらんになって下さい。

ところで私は、これを書いている内に、ひょいと見つけた「ソルジャー・ブルー」のDVDを買っちゃったんだよねえ。主役二人が好きだったので、何十年ぶりかに手元におけて、とてもうれしい。

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カツジ猫