春蘭出現
私は最近とった草を、横庭と呼んでいる庭の電柱の下に積み上げてるんですが(本当は草置き場があるんですけど、そこは今、去年私が切りまくった枝を積んでいるので、草置き場として機能してない)、数日前に気がつくと、その積んだ草の周辺に何やら新しい芽がいくつも。
ヤバい、そう言えばここは例年春蘭が栄える場所だったと思い出して、急いで草の山を移動させてチェックしたら、その下にも春蘭らしき芽がいっぱいに生え出している。危ないとこでした。
ついでに、あちこち春蘭の生える場所を見に行ったら、どこももう、芽が生え始めていた。上の庭の前庭では椿につぼみがいっぱいついているし、私が切りまくったユキヤナギもしぶとくいっぱい若葉をつけて、ついでに小さい白い花まで咲いている。脱帽。
ひなまつりには間に合わなかった桃の鉢植えにも、赤い小さいつぼみが見えはじめた。うれしかったのは、去年、気味悪いダンダラ縞模様の虫に食われて今年は花はもうだめだろうとあきらめていたスノードロップがいくつかちゃんと花を咲かせていること。ムスカリもフリージアも順調に育っているし、ビオラはますます勢いがいいし、他の花や木も油断すると見落としそうなほど、どんどん開いたり伸びたりしている。
もちろん、その分雑草も伸びてるから、夢中で草取りしてしまう。
あーあ、Googleフォトめ、まだ復活しないから、こういう写真がアップできないのよー。
新学期からの授業関係の資料もメールで送られて来た。着々と春は来るなあ。とりあえず保存して、学事歴とかは印刷した。集中講義だから、まだ日程は決まらないけど、いろいろ準備にかからないと。
だけど私、この前からきれいな桜模様の便箋を調子にのって買いこんでたけど、あれも早く使ってしまわないと、季節外れになっちゃうよ。わー、あせる!
ウクライナとロシアの戦闘の状況とか難民の状態とかが、毎日リアルタイムで放送されてるのを聞くと、全世界がこうやって否応なしに戦争に向き合えるのは悪いことではないと考えつつも、どこか複雑で奇妙な気持ちになる。私は大学時代、アメリカがベトナムで、今のロシアかそれ以上に理不尽で残酷な空爆や拷問を行っていたこと、ベトナムの人たちがそれに果敢にしぶとく抵抗していたのを、主として共産党の機関紙「赤旗」で知っていたが、それにしても、その抵抗が、被害が、どんな風なのか、映像で知ることはまったくと言っていいほどなかった。映画「プラトーン」で、米軍の死体袋を初めて見て、ああ私たちが日本で米軍の死体処理をしているのは戦争協力じゃないかと抗議していた、あの死体袋というのはこんなものだったんだとわかったほどだ。
毎日アメリカや日本政府に抗議するビラをまき、クラス討議をし、ベトナムの人たちを支援するカンパをしていて、今よりもずっと密接に関わって、それこそ自分の家族のように現地の人の運命に一喜一憂していたけれど、戦闘の結果も被害の悲惨な状況も、まるでつかめないままに日が過ぎていた。
ウクライナの破壊された町、殺される子どもたち、さまよう人々、戦う市民の映像や声を聞いたり見たりしていると、あの頃聞くことも見ることもできなかった、ベトナムの人たちの姿や声が、それに重なってくる。ああ、きっとベトナムの町や人々も、こうだったんだろうなと今初めてありありとわかる。枯葉剤やナパーム弾やボール爆弾を雨と注がれ、拷問も虐殺も日常だったのだから、これ以上に状況は過酷だったのかもしれない。
私は、この状態の世界で、せめてトランプとアベをやめさせておいてよかったと、つくづく思っているし、バイデン大統領の行動も発言もまったく支持するけれど、これまでベトナムにでもどこにでも、似たようなことしまくって来たアメリカが、今ロシアのやってることを非難しても、何よりアメリカの国民はどこかとまどっていないかと心配になる。私と同じように、なにかデジャブめいてうごめく記憶や重なる感覚はないのだろうか。国内の勇気ある激しい反戦運動とともに、彼らが感情移入できるのは、ウクライナの被害者より、むしろロシアの加害者としての心境なのではあるまいか。
当時、ベトナムの人たちがライフル銃でアメリカの戦闘機を撃ち落として、その機体で作ったというジュラルミンの櫛をカンパも兼ねて、何かの集まりで買ったのを、私はまだ持っている。