昨日から波乱ぶくみの日々
◎予定をすっぽぬかしたり〆切を忘れたりで、ばたばたしっぱなしだ。仕事にとりかかっているときの私は、精神的に半身不随なものだから、何をしでかすかわからないのだ。
そう思いながら今朝早起きして、少し遠くの文学講座に出かけたら、高速で事故があり、大渋滞でバスのなかに2時間閉じこめられた。本来なら乗りかえてから30分もかからない距離で、早く着きすぎて困るなあと思っていたのだが、結局40分遅刻した。受講生の皆さんは快く待っていて下さって、この時間の分はこの後の講座を毎回10分延長することで補うこととする。
その後、町で買い物をして、さすがに疲れているので早めに帰った。カツジ猫は私に気づかず猫庭で、空を見上げていたので、しばらく黙って見ていてやったが、妙におかしくなって笑ったので、気づかれた。
◎昨日の朝、裏庭の切った木の枝や草をまとめて燃えるゴミに出し、めでたく庭がかたづいた。後はぼちぼち草取りをして行けば何とかなりそうである。裏庭に何か花でも植えたいが、どうせその内、崖の上から栗がどさどさ落ちて来るし、もう少し待ってからがいいのかなあ。
江戸時代がどういう時代だったかと、ソ連はなぜほろびたのかをいっしょくたに考えているので、頭がくらくらする。その一方で、どこかのワイドショーの誰かコメンテーターが「自分は原発ゼロという人も再稼働という人もどっちも信用しない」、要するに極論は避けて考えようと言っているのを聞き、こんなバカを言うやつも出てくる世の中の流れになりつつあるのかと愕然としたりしているので、ますます忙しい。
だいたい、このように、人の意見が分れたとき、「両極端は排除する」と体操競技の採点のようなことしか言えない人間が根本的にまちがっているのは、極論どうしの中間地点は、一方が極論の程度がひどいほど、どんどんそっちにずれこむことで、中間地点の意見などというものは、何の根拠も客観性もない。
何かの本で読んだのだが「地獄の最も熱い場所は、道徳的な(倫理的だっけ、要するに人間として生きる道の選択に関してというようなこと)問題に関して、中立を守った者のために残されている」という一文を、このコメンテーターにぜひたてまつりたい。