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箪笥と位牌

※実家の庭では今サルスベリが満開で、雑草の中でピンクの花が広がって花火のような華やかさです。
今日、御寺の御住職に寄って頂いて、ずっと前からその儘だった祖父母や叔母の白木の位牌を持って行って頂きました。長年の懸案事項が一つ片付き仏壇もすっきりしてほっと肩の荷が下りて居ます。
古い箪笥も大工さんが処分してくれていて安心しました。とっくに亡くなった親族の臍の緒など戦前からの品物が入って居た大きな古箪笥は骨董好きの大工さんの御友達が喜んで持って行って下さったそうで、これも嬉しい事でした。
亡くなった叔母の持って居た、どうやらとても上等の箪笥も、別の御友達が道具入れに使うのに良いと引き取って下さったそうです。皆それぞれに新しい場所で末長く使って頂けると良いのですが。

しかし、箪笥の中身が家中に散乱して、中には家族の昔の手紙など人に見せられない物も多く、当分どなたにも入って頂くのは難しそうです。随分色んな方に泊って頂いて居ましたから、まあ少しの間はその方が良いのかも知れません。
来年の春にはまた泊って下さる団体?がおられるかも知れないので、それまでには何とかして置きたいのですが。

母家の庭の草取りも少しして疲れましたので、一眠りしてからそろそろ出発します。猫の餌やりも兼ねて半ば住み込んで下さる方がおいでになるので、安心です。

※キャラママさん

私も先輩の方から会いたい旨の御手紙を頂き、まだ御返事を書いて居ません。どこから御聞きになったのか「お母様を引き取って御孝養を尽して居られる由、年を取ると親の有難さが身に沁みます、自分は子供は持てなかったけれど親の偉大さは云々」と書いて下さって居て、何と御返事したものか悩ましい事です。
「家に引き取ったのではなく、老人ホームに放り込んだのです。家で一緒に暮らすのなど不可能と言う事はこの十年で実感しました。母は勤めて居ませんでしたから自分の年金は月に二万程度ですから、十数万の施設の料金に私の年金は全て消えますがそれでも同居よりずっと幸福です。母の死後は自分の年金が使えるのを楽しみにして居ます。今の状態は母も私も満足していますが、ここに至るまでの母との争闘は大変な物で、今でも私は自分に子供が居なくて本当に良かった、自分は誰にもこんな思いをさせたくないと心の底から思っています」などと書く訳にも行かないじゃありませんか。(笑)

キャラママさんのお話とも通じるのですが、こんな立派な先輩でもこの老境になって「子供が持てなかった」などとおっしゃるのかと憮然とする思いです。人生の最後のステージで、持てなかった物、失った物を回想する人々は私を本当に疲れさせます。
それらを持つ事を拒否し、失う事を認めて、代わりに得ている物があるはずでしょう。たとえ形にならなくても。それをなぜ、もっと大事にしないのでしょう。自分と自分の人生と自分の得た物に対して失礼ではないですか。

私のめざした夢の多くは実現しなかったし、戦いのほとんどは敗北しました。それでも後悔はしないし、その失敗と敗北を私は他人の成功や勝利よりずっと愛して居ます。それは私の物ですから。かけがえのない財産ですから。古い崩れかけた金食い虫の家も認知症の母も私を苦しめ足を引っ張りますが、それでもそれは私にとって大切です。
耐えられなくなったら、いつか捨てるし処分するでしょう。それもまた自分の決断として私は大切にします。その事で自分が嫌になんかなりません。

本当に「舞踏会の手帖」は困りますね。あの映画、見返すと今の私にはホラーにしか見えません。

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カツジ猫