最後の爪
昨日、床をちょっと掃除していたら、猫のカツジの爪の先っぽを見つけた。彼は先月いきなり体調を崩して死んで、今は庭のお墓の下にいる。死ぬまでの十日ほどの間、そんなに苦しそうでもなかったが、ただだるそうに、きつそうに、家の中をゆらゆら歩いて、ときどきどたっと横たわって寝ていたりした。その間に落ちたのだろう。私は彼の毛や爪やヒゲは何となく落ちていたのをとっているのだが、こんなに小さい爪は見たことがなくて、いったい、どこの指のだろうと首をかしげた。照合しようにも彼の身体は土の下だ。最後の彼の名残りだと思いつつ、アクセサリーを載せている皿のはしに置いた。
彼の遺したものや写真をとりあえず詰めこんでおく紙箱を、ネットで注文したまま、どうなったかと思っていたら、昨日の夕方届いた。組み立ててみたら大きさもちょうどよかった。値段相応に安っぽいが、このくらいの方が、先輩猫たちの霊に嫉妬されなくていいかもしれない。まん中の灰青色のやつを使おうかと思っている。どことなく得体のしれない曇り空っぽいのが、何だか彼らしくていい。


今朝の朝ドラ「あんぱん」は、アンパンマンの小規模なミュージカル公演が成功する話だった。当時を再現しているのだろうが、舞台も演出も雑で幼稚で(そこがいいのだが)、訴えるスローガンも単純でありふれて、どうってこともないのだが、「戦争で飢えて死ぬこどもたちに、食べ物をあげたい。あんぱんを食べさせたい」という、あまりにもありきたりのことばが、ガザで骨と皮になって飢え死にしていく子どもたちの映像と否応なく重なって、爆発するようなリアルな迫力があった。ウクライナでも世界各地でも、同じような状況がある。この公演が実際になされた時代や、数年前なら、飽食やフードロスの中で場違いの遠いものにさえ感じられたかもしれない、この「飢えた子どもにあんぱんを食べさせたい」という素朴で芸のないメッセージが、今、これほど心に刺さり、魂をおののかせるとは。そのことを悲しく、くやしく、恐ろしく思う。