自業自得とな
私の機嫌はあいかわらず、徹底的によろしくない。車を運転しながら、前後左右の車に向かってひっきりなしに、「くたばれ!」「ぼけなす!」などと、声を限りに絶叫している。多分、外にはもれないだろうが、聞こえたって知るもんか。ただこうやって逆上してて、ひょっと事故でも起こしたら間抜けすぎるから、そこは気をつけて、ひじとひざから先はあくまでも冷静に動かしている。まあ、こんなこと書いたら、楽しそうですねとか、私も同じですとか言ってくるやつがまたぞろぞろぞろいるんだろう。腐った葉っぱの山をけりとばしたら、うじゃうじゃ出てくるダンゴムシみたいに。
ムカつきが治まらなくて、電話やメールで、友人知人にぼやいたら、面識のない、年代も異なる、おたがいまったく知らない同士の彼や彼女が口をそろえて言ったのは、「それはとことん、あんたのせいや。自業自得以外の何ものでもない」ということだった。
彼らがいわく、「あんたは気配を殺すから、自分がどういう人間か絶対他人にわからせない」「だから、自分と同じ、そっくりと思いこむ人間があとをたたない」「一見ちゃらちゃら軽そうだから、ちょっと見ただけで、何を言ってもしても許されると思いこんで、距離感まちがい、墓穴を掘って地獄に落ちるやつが続出する」「一般人や素人のような顔をしてるから、上から目線でもの言いたくなる」「それを放置して、どこまでもつけあがらせるから始末が悪い」「なめられる才能が天才的」「とにかく全部あんたのせい」「昔から同じようなことで激怒してるの何度も見た。進歩がなさすぎ」「自分と同じと信じこんでて、全然そうじゃなかったってわかったときは、ほんとにこっちがぞっとする」だってさ。
そう言われればそんな気も。
私は小説書いても論文書いても、わりとすぐ「私にも書けそう」「自分もできそう」「私もやりたくなった」と感想もらうことが多い。ものすごく恐ろしいこと言ったりしたりしていても、恐がられないし、警戒されないことも多い。実際これは教師には向いてる才能で、私自身が「すごい」「恐い」「手が届かない」とあがめられたり、あきらめられたりするよりは、ずっと快適で、いかに授業や教育で成果を上げても、教師である自分のせいだと気づかれて感謝されたら失敗だと思って、できたら記憶にも残らないでいたい。だから、なるほど気配を消しまくる。
気づく人は気づく。わりと敵対してる人がわかってくれたりする。「あんたは実はすごいこと言ってるのに、言い方や態度がやわらかいから、皆が気づかないだけだよね」とか「あんたは、ここにいたかと思うと背後や横にひょいといるから、対抗する方法の見当がつかん」とか。だから私は気の合わない人、私と意見のちがう人が、好きなんですよね。多分。
一番うっとうしいのは、私を知った気でいる人。わかったつもりになってる人。あまりないけど、周囲や誰かの評価を見ていて、私を評価してくる人。それが自分とちがわないようだから自分も評価されていいと思い、なぜそうならないかを理解できない人。
以前に大学の後輩たちと飲んでるとき、何気なく、「ああ、あの人は近くにおいとくと便利なの。私への態度の変化で、今私が世間にどれだけ評価されてるかされてないか、一発でわかるから」と言ったら、皆が「恐い」とショック受けてて、こっちがちょっと引いたけど。そういうリトマス試験紙みたいな人もいる。
たしかに私は以前から同じようなことで、怒ったことが何度もあって、だんだん思い出すのだけど、ものすごい天才とかすごい美人とかなら、自分が手の届かないのは当然と思ってあきらめる(それも私は情けないと思って気に食わないけど)、自分とあまり差がないような私なら、ライバルやターゲットにしやすいんですよ。そういう便利で無難な位置に私がいるから、「何であんなに普通で私とそんなに変わらない人が、男にもてて大学に勤めてて」と、ほんとにふしぎでならないらしい。
私の場合をさしおいて一般論で言いますとね、そういう時の、ほんの一歩のちがいって、実はゴビ砂漠ほど大きな距離の差なんですよ。それがわからない人には永遠にわからないままでしょうけど。
まあ、私の愚痴やぼやきにつきあって、いろいろ教えてくれた友人知人には感謝するけど、でも、その中の何人かは、そんなこと言いながら、大学で歌舞伎の授業をしてると知っている私に、つい最近見始めた歌舞伎の知識を上から目線で長々と語ったり、私の車に同乗していて、私の家の近くの高速の分岐点をやっきになって教えようとして「私この道毎日通ってるんだけど!」と私に怒鳴られたりしてるから、私のナメられる才能やずぶの素人オーラって、やっぱり並みじゃないんだろうね。それとも、彼女たち皆教師だから、これは聞きかじりでも知ってすぐでも、平気でえらそうに自分のっぽくしゃべっちゃう、教師特有の症状なのだろうか。もちろん私も含めてだが。
