有明の海の底深く♫
集中講義の準備もわりとちゃんとして、時間の余裕もあって、ゆったりかまえていたら、突然腰が痛くて歩けないぐらいになり、え~とあわてながら、何とか出かけた。まあまあ無事に授業もすませて帰って来たら、まだ痛い。同年齢の友人知人が、皆、膝や腰の痛みや病気で苦労しているのに比べて、私はあまり問題になったことはないので、これで死ぬまですむものだろうかと常日頃思っていただけに、何だか病気を発症したのかとびくついていたが、まあどうにか治って来た。だいたい、パソコンの前に座りすぎだよなあ。悪い姿勢で。目と腰がやられない方が不思議だ。身体は大事に使わないと。
幸い、授業は面白い。今日は学生がどれだけ日本神話を知っているか、その知識はどこで得たかを小レポートに書いてもらったら、情報源が親から聞いた、絵本で読んだなど予想できるものも多かったが、漫画で知った、小学校の劇でやった、吹奏楽部の演奏で題材となった曲を調べていて知ったなどなど、いろんなものがあがっていた。そして絵本で読んだと書いた一人が、「うさぎの皮がはがれるところがリアルだったから覚えている」と書いてるのだが、どんな絵だったのか、妙に見たくなるじゃないか(笑)。まだそんなに昔の本じゃないはずだから、どっかでさがせば見つかるかしらん。
そう思ってネットで検索してみたら「いなばのしろうさぎ」って絵本、けっこうたくさんあるじゃないかよ。あーあ、「花咲かじいさん」の時みたいに、これ全部買うって暴挙に私が出ないといいんだけどなあ。オオクニヌシの兄たちの絵もいろいろと出てくるし、やっぱりほしいわあ、これ。どうしよう? やばいやばいやばい。
アメノウズメの銅像を見たと書いている人もいて、これもちょっと気になるじゃないか。高千穂の道の駅にあるのは、いかにもまっとうだが、青森の平和公園のはなかなか迫力がある。北国で寒かろうにとてもパワフル。
ところで、今朝だったかニュースで、戦後最悪の炭鉱事故、三池の事故から七十年とのことで、追悼の記念行事が行われたと言っていた。私が七つの時の事故だ。そう言えばそのころのニュースをぼんやり覚えている。
少し前にはまっていた夏目漱石の小説『坑夫』や炭鉱を描いた外国映画のあれこれを思い出したりしながら耳でだけ聞いてたら、集まった人々が「昔の労働歌」を歌って追悼したとのことで、その歌声が一瞬流れて、はじかれたようにふり向いてしまった。大学のころ、いろんな集会や友人たちとの集まりで聞いた、荒木栄のレコード組曲「地底の歌」の中のいろんな曲を若かったし、自然に覚えていたのだが、これはその序章で、重々しく物悲しいメロディーがしっかり印象に残っていた。実のところ、この曲と最後の曲は、今でもまだ全部歌える。
ニュースでは流れなかったが「序章」の最後のフレーズは「革命の前衛、炭鉱労働者」だった。そこにこもる覚悟と誇り。今ではそれも歴史だろうが、歌の響きはまだ古びない。
目の荒い白黒写真の労働者たちの映像の数々が、故郷の風景のようになつかしいのは、別にそんなに好きでもなかった学生運動の時期の記憶だろうか。それとも子どものころから読んだたくさんの小説の中の働く人々、戦う人々の思い出だろうか。
この風景と、この雰囲気は私の小説「水の王子」シリーズの中では、第三部「都には」の世界だ。スサノオが支配する都は私にとって、学生運動の時代を象徴している。そして今もまだ滅びてはいない。
北九州の美術展が明日までだ。行く計画を立てていたのだが、もうしばらくは庭と家の片づけに全力投球することにした。庭は草茫々で歩けないほど荒れ果てているのに、ここに来てジンジャーが一気に咲き出し、毎朝つんで飾っても、次から次へと花が咲く。バラもけっこう咲いている。こうなると何だか荒れ果てている方がかえって風情があるようで、そのままにしておきたくなるから困る。
これは玄関の花。どっちもなかば雑草だが、なかなか堂々とカッコよく何日も咲きつづけているのが笑えてしまう。