最近めちゃくちゃ悲しかったこと
マッサージで腰痛は少しよくなったが、まだまだ安心はできない。食い意地だけははっているので、冷蔵庫でヤバくなっていた食材を一気に調理し、久しぶりに味噌汁を作り、妙に余っていたリンゴをずっと残っていた蜂蜜で似て、デザートまで作った。そんな作業も腰をいたわりながらで、体験はないけど出産直前はこうもあろうかってぐらい、重い腰をぶらさげて煮たり焼いたり切ったりしている。授業関係の掲示板にも書きたいことはいっぱいあるのに、パソコン前の座り仕事が恐くてできない。座っているのは実は一番楽なのだが、つい椅子に長居すると腰にはよくないようで気になる。
荒れた庭に花が咲き乱れるのをやけになってそれなりに楽しく鑑賞していたら、何とまあ、枯れたままにしていたグラジオラスの茂みは新しい葉が出て来るし、枯れ草の山の中からはもう水仙の葉がのびている。ぎゃー、こんなのどうやって枯れ草を刈り取って庭をきれいにすればいいのさ。実は放ったらかしてても作業のめどはついていたので、その内にとりかかればあっという間だと楽観していたのだが、その計画が修正を余儀なくされそうで、あわてまくっている。
石破新内閣がスタートした。まあ、安倍派の皆さんと言うか、アベ政治の残りを片づけてくれるまでは、たいがいのことは我慢する気でいる私は、そう失望もしてはいないが、報道関係が二言目には「野党とも協議しなくてはならないから、政策の実現が遅れる」と困ったことのようなニュアンスで語るのは、まったくいただけない。頭の中がもうそうなってるのかもしれないが、与党が勝手に好きなようにものごとをさっさと決めて行ってた方が、よっぽど異常で危険で、ろくなことがなかったのを、おかしいとも困ったとも思わないで来たのか、テレビもラジオも新聞も。だったら正気の沙汰ではないぞ。
そして、野党が全部立憲の野田代表に投票すれば、政権交代も実現したのに、おめおめとそれをしなかった野党の一部も、たいがい感覚が鈍ってるな。国民民主の代表のスキャンダルも、情けないけしからん話でもあるが、そもそもこんな重要な時期に、警戒心がなさすぎるというか、脇が甘すぎるというか、そのアホらしさが私は何より心配だよ。政治にたずさわり国民の命運をにぎるという決意も覚悟もまるっきりないじゃないか。
さて、少し前のことになるが、テレビの「新プロジェクトX」で紹介された、オウム真理教と警視庁特捜部化学捜査班の話がめちゃくちゃ悲しかった。当時はまだ弱小で無気力だった化学捜査部署にあきたらず、やりがいを見つけられないまま、自分の仕事と研究を続けていた捜査官?は、警視庁に協力してオウム真理教のサリン製造の証拠をつかもうと、自分の知識と能力を発揮して没入できることに充実感を持つ。
そして、サリン製造の中心人物だった土屋容疑者と対決するのだが、それまで完全黙秘で誰にも心を開かなかった土屋容疑者は、専門知識に明るい、この相手から、サリン製造につながる作業の優秀さを評価されると、態度が変わる。そしてオウム真理教について、顔を輝かせて、「最高に幸せな場所だった。自分の知識が評価され、能力が活かされる仕事に打ち込めてすばらしかった」と語り、やがてすべてを自供する。
あの番組の構成はみごとだったと思うのだが、それは語られはしなかったが、土屋容疑者のその心情は、満たされない職場で過ごした過去もある捜査官とぴったり重なり、おそらくよく理解されるものだったろうと、まざまざと伝えたことだ。今風の言い方で言うと、それは本当に私の心に刺さった。
前に若い知人が「今の若者は承認要求が強いから、どうしても多数派に流れて、自分を認められようとしてしまう」と言っていた。承認されたきゃ少数派になれよと思う私はともかく、若い人に限らず、それは誰にでもある心理ではあるだろう。そして、自分の能力を発揮できずに鬱々としていた、すぐれた真面目な若者が、生きがいややりがいを見出して自分の力が発揮できる場を得られるということは、どれほど切実であることか。
土屋容疑者は、やがて麻原彰晃とともに死刑に処せられた。罪の深さは別として、それは何という悲しい話だろう。無気力な周囲の中で、自分をすりへらしもできず、無気力にもなれぬまま、生きがいとやりがいを求め続けて生きた若者に、そんな場しか私たちが与えてやれなかったとは。
その数日後に、ドキュメント「映像の世紀」を見て、これもまた、たいがい落ち込む内容だったのだが、まあその話はまた今度。腰の具合を考えると、そろそろ時間切れっぽい。
授業で学生に毎時間出してもらってる小レポートに、こんな落書きをしてしまったけど、悪かったかな。