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朝っぱらから、昨日の続き(笑)

なまじだらだらテレビを見てると、しょうもないことが気になってしょうがない。岸田首相以下の閣僚の真似をしてるんだとは思いたくないが、最近のテレビはNHKもどこもかしこも、食い意地がやたらに張っていて、料理のしかたやうまい店探訪や、食い物の話なくしては夜も日もあけないみたいだけど、これっていったいどうなんだ。

変な本歌取り?風のコマーシャルもやたら多い。もともと私は名画や名作や名曲を、しょうもない場所に使うのは好きじゃない。トイレや日用品を快適にしようと思うなら、それ独自の曲や香りや絵画を独自に新しく開発して、それで人気を得るぐらいの気概を何で持てないんだ。もうないが、広重の浮世絵をマッチ箱に使うのも、子どものときから大きらいだった。古い名作映画のテーマ曲を得々として車や食べ物のCMに流用するのも、原作が汚されたようで大きらい。今もしっかりありますが。

一番許せないのは、原作とおよそド反対の思考や世界観にもとづく、学習塾のCMに、そういうものを拒否しまくってる「アルプスの少女ハイジ」のアニメを使っていること。これは著作権を売り渡した方も許せない。娘を身売りし、売春宿で働かせている親にもひとしい所業と思う。
 前からいやだったルノワールの絵画のパロディも最近調子に乗りすぎだし、まあそんなものをあげて行けばきりがない。それとは別に、やたらと恫喝するような大声で叫ぶ質屋のCMもいやだし、前にも書いたが超下品な貴族令嬢か王女が出しゃばるCMも好かん。

もっとも先日NHKの大河ドラマの出演者たちが座談会をしている映像を見ると、どうやら昨今の古代貴族のドラマというのは、妙に下品な庶民性を出演俳優が役柄と一体化させてふりまいて俗っぽく庶民的にするのがいいと思ってるらしい節がある。表情から声音から、もう見ていられなかった。
 何もかも海外がいいとかは絶対に思わないけど、「ダウントン・アビー」の出演者たちは俳優の地を見せる座談会でも、役柄より優美でおしゃれでゴージャスな違和感を楽しませつつ、演じた役柄の気品や善意をどこかでにじませて残すようにしていた。そのバランスが毎度みごとだったと思う。これは大昔のスパイドラマ「ナポレオン・ソロ」なんかでもそうで、主演の一人のマッカラムがインタビューに応じて「私生活はごく普通の市民です」と答えながら、とつぜん現れた黒服の敵を拳銃で撃って、しれっとまたアナウンサーに話をする、なんておちゃらけが、見ていて胸が痛いほど魅力的だった。

演劇でも映画でもドラマでもそうだが、出演俳優が「素をさらす」ってインタビューだの座談会だのって、そういうものと思うのよね。素顔を見せているようで、やはり演技をしなくちゃいけない。実態と役との落差も魅力的に見せ、役のイメージをずらしたり、こわしたりしながら、どこかで守って、むしろ強調しなくてはいけない。
 日本の大河ドラマの俳優たちに、その覚悟はまるで見えなかった。ひたすら、べたべたなれあって甘えて、自分たちの立ち位置についてまったく意識していなかった。そのプロ意識のなさと原作へのなめた態度に吐き気がするほどだった。よくわからないが、朝ドラの方がそういう点はかなりましなような気もする。

あらまー、まだちっとも本題に入れない。いったん切って、モッコウバラのつるでもかまって来ます。その前にごはんも食べなきゃ。庭には花が雑草の中に咲き乱れ、ちょっとずつ切ってきて、びんにさしたりしています。エニシダがちょっとしおれて来たので入れ替えなきゃ。そう言えば、ガザニアって、切り花になるのかしらん。

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カツジ猫