朝のひととき。
◇私が高いおもちゃを買ってやっても見向きもしないカツジ猫は、ずっと前からどうしてか、何かをゆわえていたらしい、赤い水引のような、端に小さい房のついた、まったくどうってことはない、普通だったらゴミ箱行きの(実際ゴミ箱から引っぱり出したのかもしれない)紐の輪っかが大好きだ。
ストーブの前の座布団、廊下の机の上の毛布、ベッドの上、台所の床、いたるところに置いてあるのにお目にかかる。明らかに、くわえて運んで回っているのだ。何がそんなにいいんだろう。色かな、質感かな、微妙に伸び縮みするからかな。
今朝はとうとう、庭のコンクリートの上に置いてあるのを見つけた。ということは、あれをくわえて、猫の出入り口を出て行ったわけだ。いったい、どれだけご執心なのだろう。あきれながら、つい拾って、家の中に戻した私も相当バカかもしれない。
◇昨日、行きつけの花屋で、造花みたいに不自然なオレンジ色のスイートピーがあった。愛猫の故キャラメルの毛の色でもあり、珍しい色に魅かれて、つい数本買ってしまった。一本150円で安かったし。
グラハムさんという人の作った茶色と白のどっしりした花瓶に入れて、玄関においている。色は普通じゃないのに、香りはちゃんとスイートピーで玄関には甘い香りがほのかに漂っている。
◇玄関には、母が全国を旅行して各地で買ったおみやげの通行手形も飾ってある。箱いっぱいあったのだが、ほとんどをワールドギフトに寄付してしまった。その時、最後に気に入った珍しいものを10点ほど選んで残した。北海道のクマ牧場のや、鹿児島の鶴の見物場所のや(これは立派な黒いうるし塗り)、摩周湖や池田湖の青い色入りのきれいなのや、小さくてかわいらしい花模様の知床岬のや、小さい木札が三つぶら下がった珍しいかたちの松島のや、竹をあしらった岡城のや、どれも色あせたり、くっついた鈴が錆びてたりするのが、かえって風情があっていい。
母はこういうのを選ぶのが好きで、上手だった。安物のおみやげでも瞬間的な集中力で、自分の目にかなった魅力的なのをきちんと選んだ。
玄関に入って、それらの通行手形を目にするたびに、それを買っている時の母のはずんだ気持ちや、満足感や充実感が伝わって来て、玄関中が幸福感で満たされているように感じる。私が入って、空気が動くと、さざ波のようにその幸福感がゆれて動いて、新たに生き生きとよみがえるのを感じる。このひとつひとつを選ぶとき、母がとても自信にみちて、人知れず一人で得意になっていたことが、手に取るようにわかって、こちらもしみじみ嬉しくなる。
願わくは、手放してしまった他の通行手形も、今ごろどこかで、同じ幸福感をまきちらして、人を幸せにしてくれていますように。