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期せずして。

◇昨夜アップしたカツジ猫の写真は、今日の震災や原発事故で被害を受けた多くの人間と動物を追悼するのに、ふさわしかったかもしれません。
本人?は何も知らずに、今もベッドで寝ています。
全国の原発が再稼働されることなく、この眠りがいつまでも乱されることがありませんように。

◇先日久しぶりに街の本屋で本を買いこんだ後、店を出ようとして入り口に泡坂妻夫の「湖底のまつり」の新しい文庫本が山積みされているのを見ました。
 もう人手に渡った田舎の古い家の離れで、少しだけ片づいて居心地よくなった中で、叔父のベッドに転がって、適当な本を書棚から引っぱり出して読んでいたとき、この作家の「11枚のとらんぷ」を何度も読みました。古めかしいのにおしゃれで新しいその雰囲気が、部屋の気分にぴったりでした。窓の外には梅の花が満開だったり、あじさいが咲き乱れていたりして、遠くから幼い時以来聞きなれた電車の音や車の音が届いて来ました。

 私はとことん散らかった家を片づけるとき、まず一部屋か一か所を片づけて、心地よい空間を作り、それを根城に壮大な空間の片づけに挑戦するのですが、そこもその一角で、廃墟の中のユートピアのような楽しい空間でした。
 そのとき回りにあった家具や窓辺の置き物や電気スタンドは、今は皆こちらの家にやって来て、それぞれ活躍していますが、誰を呼ぶこともなかった私だけが知っている、あの秘密の夢の時間と空間は、泡坂妻夫の白鳥を食べに行く話や盗まれた名画の話などとともに、今も私の心のどこかに愉快に凍結保存されています。

そんなことも思い出して、レジに引っ返し「湖底のまつり」を買いました。
冒頭から、どこか目のくらむような不思議な美しい無気味さにくらくらし、しかもそれは決して不愉快なものではなく、なつかしく快い。
今では使わない言葉に彩られたなまめかしい性交の描写もあれば、今のミステリでも出てこない社会背景や市民運動が、上滑りな聞きかじりの知識ではなく、ずっしりと重いプロレタリア文学なみの、しかもそれよりずっとリアルな人間描写で描かれる。
ダムに水没する村の背後にうごめく利権など、今の原発その他に翻弄される地方そのものではないですか。
そして、謎の中心をなすのが、これまた今でもまったく古くない時代の先端のトリックで、こりゃとても合理的な説明は無理だろう、怪奇現象で逃げるのかなと思わせた伏線のすべてを、完璧に解決する。ハッピーエンドかどうか微妙なラストもなかなか。

不謹慎なのはわかっていすぎるのですが、かつて私はベトナム戦争のあまりの悲惨さ、救いのなさに、この戦争が第二次世界大戦のような、すぐれた文学を生むことは不可能なのではなかろうかと思ったりしていました。
それがオリバー・ストーンの映画「プラトーン」や、ティム・オブライエンの小説「本当の戦争の話をしよう」などで、等身大の魅力的なすぐれた作品が生まれ始めたとき、人間や人類の強さを実感しました。
それが文学として描かれ生まれたとき、滅びたものや失われたものの数々は現在によみがえり未来に手渡される。

かつて東海村で原発事故があったとき、私はそれがもっと大きな事故で、ひとつの村や町が廃墟となり、そこで暮らしていたペットたちがどんな思いをするかということを、漠然と空想し、小説に書こうとし、あまりの悲しさと恐ろしさに空想することさえやめました。
その後、3.11.で、完璧なという以上に、その悲劇が実現しようとは、さすがに予想もしていませんでした。
その中で唯一と言っていいぐらいの大きな救いは、その悲劇と全身で立ち向かい身体をはって動物を助けた、「みなしご救援隊」をはじめとする、たくさんの動物愛護団体、その後もそれに結集して支えつづけた全国の人々の姿でした。
これは私の空想の中には存在しなかった。作ったら、きれいごとで、うそっぽいと自分でも思ったでしょう。でも現実にはそういう団体や人々が、生まれ、存在し、育ったのです。

不謹慎ですがとくりかえしますが、そういうことを思うにつけ、私は泡坂妻夫が「湖底のまつり」で描いたダムに沈む村を背景にした、恐ろしくも美しい描写は、今だったら原発で廃墟になった村や町を舞台に何十倍も恐ろしく美しい作品を生むだろうなと感じました。いつかはそういう作品も生まれるのだろうと思います。私たちは、そこまで来てしまったのだ。そうあらためて思います。ここから引き返すにしても、今からちがう道に進むにしても、ここまで来たことに変わりはありません。

◇他にもいくつか読んだ本があるのですが、感想はまた書きます。昨日からたまっていた手紙を一気に片づけて、最後の数通をこれから郵便局に持って行くのですが、おかげで確定申告の準備が遅れて、せっぱつまっています。やれやれ。庭にはユキヤナギが白い花をちらほらつけ出し、「てふてふ」というかわいい名前のきゃしゃなパンジーはいっぱいに風にそよいでいるというのに。

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カツジ猫