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格差社会

◎じゅうばこさん

「この胸に深々と刺さる矢を抜け」という白石和文の小説を、迫力あって面白く、一気読みしてしまったから言うのじゃありませんが、映画や小説といった文学が、貧しい人、虐げられた人、恵まれない人の立場で書かれるようになったのは、いつからなんでしょうか?

こんなことを言うのも、最近自分がなぜ社会主義を支持したくなるのかを考えていると、結局は自分より恵まれていない人から「おまえの分を私によこせ」と言われることに私は疲れ果てていて、「持って行っていいから、私がどれだけ持っていてもいいのか、早々に教えてほしい」と言いたくなる脅迫観念に、幼いときからずっとさいなまれてきて、それが今でも続いている気がするんですね。(笑)

この夏だってそうですが、私の時間、私の生活をわけてくれという人達を拒否するたびに、めろめろに疲れて、それは結局、どこまで拒否していいかという基準が私の中に生れてから一度もないからです。

持っている者は持たない者に与えなければいけないと、私はずっと思ってきたし、できるだけそうもして来たのですが、時にはいやになることもあって、でもそれは、ゆきうさぎさんも前に書いていたことですが、神も民衆も許してはくれないだろうなということを常に感じて来ました。

恵まれている人間は、決して神には愛されないし、小説の中で主役や正義の味方にはなれない。そういう考えが私の肌身にしみついたのは、子どもの頃に小説を読み過ぎたからにちがいないとずっと思ってきたのですが、よく考えたら、「源氏物語」や「紅楼夢」や「細雪」を読んでいる限りでは、そんな発想はしみつかないだろう。(笑)

貧しい人、虐げられている人が主人公になる文学というのは、いったいいつごろから生れて来たんでしょうかねえ。そんなことをぼんやり考えています。

◎ところで、その「この胸に深々と刺さる矢を抜け」にもちらっと書かれていた、弱い者を守るという視点や姿勢がまったくない、上に立つ人として実名をあげて書かれていた人が、自民党の総裁になったようですね。

この人が前に首相になった時、世の中は憲法改正をしようという大合唱で、私はどうせ日本はもうだめだから、せめて何かはしておこうと、かなりやけな気分で九条の会の活動に参加したのですが、少なくともこれまでは一応、平和憲法は変えないで来られたようです。
あの時の自分の絶望的な気分を考えると、今はまだ少しはましなような、そうでもないような、まったく予断を許さないとは、こういう状況を言うのでしょう。

「この胸に・・・」を読んだときも、つい「奥さん、選挙には行けよ」と叫んでしまいそうになったのですが、まあ、私は愚直に選挙に行って、原発全廃、憲法九条を守る、と言っている候補者に投票することだけは最低やろうと思っています。

◎先日、家の前を掃除していたら、通りかかった奥さんが「散歩のたびに、おたくの猫ちゃんと会うのが楽しみです。名前は何というのですか」と言われました。恐縮しながら「カツジです」と教えると「かっちゃ~ん」と呼びかけて下さっていました。カツジや、ありがたいファンがいてくださるようだよ。

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カツジ猫