桜を見て来た
二日間連続で田舎に日帰りして、書庫を片づけて来ました。
ひょんなことから、本や資料の多くが失われたことは前に書きましたが、残った分をとりあえず書庫に並べています。
板坂家代々の書類もだいぶなくなってしまったので、ご先祖へのせめての謝罪と供養をかねて、「板坂家図書室」「板坂家資料室」という手作り額をかけて、家族親族をしのぶ場所にしました。
まだまだ道半ばですが、今日は古い文藝春秋と週刊朝日が大量にあったのを、棚に並べ終わりました。ほこりだらけの雑誌をそろえていると、母が大阪万博のツアーに参加したときの紙なども出て来るし、古い記事のいろいろがちらちら見えるのもなつかしい。
自分は本や文字や記録が好きで、それに囲まれていればいいのだなあと、しみじみ思う一方で、捨てられてしまった本や資料にも、せめて最後にこうやって触れたかったという思いが、あらためてぐいぐい、こみあげて来ました。
少しだけ、成果のほどをお見せします。かけてある額は、母が作ったビーズ細工と刺繍細工のもので、特にビーズ細工なんか、もう額も本体も解体しかけてぼろぼろなんですが、こうやって飾ると、けっこう見られます。しかし、いい加減に釘打ってひっかけたので、もう一回ちゃんとつるし直した方がいいかもしれない。
昔の母家の裏庭の桜の古木が、みごとな花をさかせていました。川向うの桜も満開で、地域の人がライトアップしていました。私が通った高校の近くの桜並木も昔ながらの花の波でした。ここを見ている同級生の皆さん、なつかしがって下さるかも。
車の中のテレビで、安倍首相がしめやかな口調でコロナ戦争に勝とうとか、あいかわらず内容皆無の、変なお涙ちょうだいの演説をしているのを見ました。あれにころころ乗せられて、挙国一致気分になる人がどれだけいるのか知りませんが、本当に気分が悪いです。