極まれり
昨日今日は大雪だとか天気予報はずっと言っているけど、寒いっちゃあ寒いがそれほどではないし、本当に今日は雪積もるの? 毎回びびるのに飽きて疲れた。
まあ食料は確保してるし、家でのんびり過ごすとするか。
政府は国の安全保障対策を根本から変え、憲法をはじめとした国の根幹を転換する大改革を何と閣議決定で決めた。
アベが改憲を命とか言いながら、決してまともな議論をせず、あげくの果てには「憲法を変えたって何も変わらないんです」という言い方で国民を説得しようとした愚鈍と不誠実と理不尽も、ここに至って極まれりと実感する。
集中講義が終わったばかりで、今年も教室で談笑していた学生たちの姿が目に浮かぶ。特に男子学生たちの声や顔や動作が忘れられない。
昔、教職につきたてのころ、学生時代に読んだ阿川弘之の「雲の墓標」という小説を、いつも思い浮かべて心臓に悪かった。学徒出陣の特攻兵の群像を描いた小説で、彼らは国文学科出身で、しばしばかつての教授に手紙を出す。教授はほとんど登場しないし、手紙の返事も書かれてはないけど、ちらとのぞくその描写から、私はもしも自分の教え子からこんな悩みや迷いやその他の手紙をもらったら、どうしようかと、ほとんど戦慄した。女子学生でも自衛隊に行った人も何人かいたけれど、特に男子学生が選択の余地なく徴兵されて、人を殺し殺されることを強制されるようになったら、その苦しみに自分が耐えられる気がしなかった。
とりあえず、自分の教え子たちが徴兵されるには年をとるまで、何とかして戦争にならないようにしなければと思いつづけて、デモにも集会にも参加していた。当時の彼らは今は軒並み校長やら研究者やらベテラン教員やらになって、中年も過ぎかけ、よっぽど予備役招集でもない限り、まあ安心かとどこかで胸をなでおろしていた。
だが、今、教室に行けば、また若い学生たちがいて、彼らが成長してもまた次の若者たちが現れる。「雲の墓標」の教授のような体験だけはしたくないという私の願いは、きっと永遠にかなうことはない。
不思議でならない。世の中の親たちには、こんな恐怖はないのだろうか。不安とかいうより何より、せっぱつまった、いてもたってもいられない苦しみは。
祖母は溺愛していた末息子の板坂元が徴兵されて入隊したとき、その日帰ってきてからずっと、居間の壁にかけた元の服を黙って何度も手でなでていたという。それを見た母が私に話してくれなかったら、誰にも知られることのなかった光景だ。
思っただけでも耐えられなくなるそんな思いのさまざまを、皆は感じないのだろうか。教え子たちのレポートを読みながら、その一人ひとりを心おきなく愛するのさえ、私は恐くてしかたがない。