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母と、母の母(15)

これは活水学院の英文科を卒業間近の母に対して、祖父の家業をついで大阪の医専で医師の勉强をしないかと打診する、かなり重い内容の手紙である。結果として母はその道は選ばず、妹の叔母南生子が医師になった。それについて祖父の期待に応えなかったことで母は随分悩みもしたし、祖父も傷ついたようで、その際の手紙も残っている(このホームページのどこかで紹介したような気もするのだけど、見つからない)。
母を高く買っていた祖父の目は正しかったし、多分一家全部が同様の評価をしていたのではないかと思う。母がその希望に沿わなかったのは、英文学もさることながら活水で唯一日本語で受けた(他の授業は皆英語だった)国文学への傾倒もあって、それは叔父の板坂元に影響を与えたのだろう。少なくとも母は私にそう言っていた。

母はその後、私の父と結婚して大した理由もないまま離婚し、祖父の医院の事務を手伝っている時に当時は死病といっていい結核に感染する。祖父や母の心理がその時どうだったかはわからない。しかし多分それ以後母は祖父と不仲になり同じ家の中でもまったくと言っていいほど口をきくこともなかった。祖父の仕事を手伝っていて感染したのに、一家が母に対してその責任を感じず、むしろ忌避して敬遠したというのが母には許せなかったのらしい。

ホワイ校長というのは活水学院の第三代ホワイト校長のこと。花は枯れるからいやだとキャンパスにはクローバーしか植えさせなかったとか、朝礼だか礼拝だかの時に壇上に座っていて、入ってくる生徒の顔を残らず覚えていて服装の乱れなどがあると後で注意があったりとか、いろんな逸話を母から聞いた。え、ラッセル先生のことじゃなかったよなあ。

「東京の大変なさわぎ」って、ひょっとして二二六事件(昭和十一年)のことだろうか。

あまり関係はないが、この手紙で祖母が「大阪(江戸時代の表記では大坂)には知己も多いから」と説得しているのを見ると、私が大学に行ったとき、叔母が知人を紹介して下宿を世話しようとし、そのご家族が「敷地内の家を貸してあげる」という話になった時、私はしんそこぞっとして、死んでもそれだけはいやだと思ったことを思い出す。見知らぬ土地で家族と親しい家族に監視される生活なんか思っただけでも吐き気がした。母もそうだったかどうかは知らないが、久しぶりにその時の気分を思い出して若返った気がする(笑)。もちろん、そのお話は叔母を通してお断りしましたが。

御父さんへのお手紙有がたう 三月といへばいかにも春らしく気分のみはなごやかにおもひますがなかなか冬がゆっくりで寒いことです でもまあ二人共元気で何よりですね 東京も大変なさわぎでしたが何ふやら落ちついたやうです 何時の世にもどこの国でもこうした事件があってだんだんに改革されて行くのでしょ お母さんも佐賀行きは風工合で見合せ又新らためて行くことにしましたので兄さん丈け五日の午后に帰ります 今日はとても大きな相談があってかいて見ました 外でもないが澪ちやんが高女卒業の頃にも一寸話があった問題でした女子医学への入学事です 兄さんもいよいよ希望通り京大の法科に進むことになりましたので御父さんも先づ一安心といふところ けれど本来なら兄さんは医科をやるべき人だけど御父さんの主義として子供達はそれぞれ自分々の好きな道を取っていゝとの事で兄さんも法科行きしたことですが四人の内一人は何ふかして家業の医学をやつてほしいとのお考へ そうすれば南生子もまだはるかなことだし元も尚更小さくて自身の希望考はなど何とおもって居ることやら それ丈け御父さんもあの子にたのむことは無理ですし澪子なら学力体力すべての点で注文通りに出来るし澪子が英語が好きとの事であゝして活水の寄宿に入れたけど今は何ふしてもあきらめ切らない 今もし澪子が医専の方に行ってくれると大いにたのしみだがと仰言てますのよ 医専を出たからとて必らず病人相手に診察ばかりしなくてはならぬとも限らぬし専門は自分の好きな事を勉强されるそうですからね 南生子も五年を出てから行くとさへ望みますればやってもいゝのですが澪子ならこの四月から大坂の方に行けますからね 最もこれは相談で是非共そうし成さいとは云はないのですから そこはよく考へて 〆切りが廿日までゞホワイ校長のスイセンさへあれば無試験です 大阪には澪子が生れる時からお世話して下すった田川のおばさんも居るし武兄さん方も居るし隈さん阪大総長の楠本さん方も居られるし皆この人達もよろこんで出来る丈けの世話はして下さるでしょ 又兄さんも学校出たらいづれあちら方面にてつとめることでしょからかれこれ便利だろうとおもひます 突然でびっくりするかも知れないがよく考へていやなのをまげてまで親の希だから仕方がないといふやうなことがないやうに私共も是非々そうしてとは云はないのですから間違はぬやうに願ひます 英専を出ても先生する位でしょから先きのこともよく考へて返事して下さいよ 御母さんは英語が好きな澪ちやんだから今更又医専問題などかき度くなかったけど御父さんは始終澪子がやってくれるといゝのだけどと仰言てたが今日は何ふしてか澪子に一つお前からくわしく書いてくれないかと急におっしゃるのでしょ そしてくり返しくり返し澪子なら博士もすぐ取れるてさ 何ふですか一ツ大阪あたりで勉强して見やうといふ気にはなれないの 澪子の返事次第で学校の方にも急いで相談の手紙を出さねばならないからね 今日はたゞ用件のみ         
                  母より
  澪子様

三月三日

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