気まぐれ正月
ゆうべは夜中過ぎて風呂に入り、明け方に寝た。初日の出なんか知ったこっちゃなく、九時近くまで眠った。ゆうべの年越しそばの「どん兵衛」がおいしかったが、特別仕立ての新発売だたからか、こってりしすぎていて、前に食べたあっさりしたのとイメージがちがって、いまいちだったから、今朝は起きぬけに、買っていたふつうのそばをゆでて、残していた「どん兵衛」のスープに、ネギやかまぼこをぶちこんで元旦の年越しそばを食べた(笑)。
それから雑煮をこさえて、上の母家に行って、そこの冷蔵庫にしまっていたおせち料理を食べ、お屠蘇と雑煮も味わって、たらふく腹を満たした。悪くなかったが、まだ片づいていない荷物の山の中を料理を運んで行き来するのは相当にやばすぎて、これはもう冗談でなく、正月も返上で母家の片づけにはげむしかないと決意した。しかし、やっぱり働きすぎたか疲れてしまい、でれでれテレビを見て過ごす。年賀状も、出していない方から数名いただいてるので、返事しなくてはならないのだが、お屠蘇をけっこう飲んだからなあ。車で出かけたら飲酒運転でつかまりそうだ。
そういうわけで、気まぐれどころか、しっちゃかめっちゃかの元日を満喫中。「しんぶん赤旗」日刊に志位さんと著名な学者のマルクスについての対談が載っている。恐ろしく長いが、面白そうだから、全部ゆっくり読んで見ようかと思っている。
昨日書いた、「今年の目標」の中の「他人と周囲に快い人間になる」ということについて、少しだけ。何のことか、ぽかんとした人もいるのじゃないかと思うので。
実はこれ、ふだんから私がときどきやる遊び?なのです。これという予定や目標がなく、退屈していて、どよんと気分が晴れないとき、とりあえず、「今日は一日立派でいい人になってみよう」と決めてみる。車は完璧に速度を守りルールを守り、譲り合って相手を気遣う。歩いていても並んでいても、人や店員に配慮し、いやなことはしない。ともかくとことん、いい人間になってみる。言っときますけど、ふだんは全然そうじゃありません(笑)。だから、かえって新鮮で、気分が変わってリフレッシュできます。
それで別にいいことがあるわけでもないし、他の人が喜んでくれるってこともない。そういうこととは関係なく、あくまでも自己満足です。もちろん、ペットや身近な人にも、にこやかに優しい。でもまあそっちはいつも心がけてはいるから、あまり問題じゃない。利害もからむから、面白くない。まったくの他者や社会に対して、よい人になろうとする。ついでに、よい人ってどんなものだったかを考えたり思い出そうとしたりするのも気分転換になる。
まあ、長続きはしませんけどね。長続きさせる気もないけどね。だけど、エクササイズとして考えておくのも悪くはないと思ってさ。スポーツかゲーム感覚ですかね。
そう言えば、この前ホークスの映画を観に行ったとき、小久保監督が、「今年、しないと決めていたことが三つある、ひとりごと、舌打ち、ため息、だった」と言ってましたっけ。一拍おいて「守れませんでしたが」と言っていたのに、えらく笑っちゃいましたが。比べ物にはなりませんが、それともちょっと似てるかもしれない。
写真は、でっちあげた鏡餅と、その他のお飾り少々。母が午年だったので、馬の置物はもともと少しはあったのですが、新しいのもほしいなと、ちょっと思ったりしてました。そうしたら、戸棚のあっちこっちから、ありふれてはいますが、かわいい小さい干支のウマがいくつか出てきて、どうやら私が、干支の飾りにハマりだしたのは、このころからのようですね。つまり十二年前から、こんなことしてるのか。そう言えば、ネズミだのイノシシなどもそこそこあったりするから、どうやらひと巡りしてるんだなあ。あらためて、時の流れの速さに驚く。




