沖ノ島の世界遺産登録について(3)
最低でも、市の運営している各種の女性センター、男女共同参画関係の機関、更に市内の小中高校、大学などの教育機関などに対して、女人禁制の場所を宗像市として世界遺産に登録要請することについて、登録された場合にどう対応するかについて、充分な議論を深めるように要請することが必要です。
これらの活動を行なう機関や教育施設では、男女も含めて、あらゆる人間を差別してはならないと教育しています。ある性の人々が絶対に立ち入れない場所が存在し、それを宗像市が公認し支援することと、これらの教育活動が、どのように矛盾なく共存し得るのか、充分な討論と学習を行なわなければ、この世界遺産の登録とともに、宗像市の女性関係の活動や教育関係の活動は大きな矛盾を抱え込み、衰退や分裂につながって行きかねません。
何度もくり返しますが、私はこういった女性関係や教育関係の活動で宗像市がこれまで積み上げてきた実績や精神と、沖ノ島の世界遺産登録は両立しえないと考えています。しかし、そうでない意見の人も多いでしょうし、討論を深める中で、よいかたちで両立させる方法や理論が生まれてくる余地も充分にあります。一番よくないのは、痛いところにふれないまま、最大の問題点には目をつぶったまま、世界遺産登録のための運動を推進することで、これは結局、すべての関連する問題の部署や組織を無気力にさせ疲弊させる危険があります。
予想される討論の内容には、たとえば次のようなことがあります。
1 世界遺産になっても、男性なら誰でも行けるのではなく、限られた人しか行けない。また観光地として利用することは考えておらず、あくまでも保存と保護のための世界遺産登録である。(私が電話した時の担当者の方の解答です。)
どんなに少数の人しか行けないとしても、それが男性に限られるのであれば、女人禁制という制度の持つ基本的な問題点にはまったく変わりがない。従来宗像大社がそのように静かに目立たず伝統を守ってきたのだから、世界遺産にしなくても、そのやり方で充分ではないか。
観光地として利用する予定はないというが、シンポジウムなどでの発言を聞くと市長はそのような考えを示しているが、運動を推進する中での全体的な確認にはなっていない印象をうけた。
かりに観光地とするとしたら、家族にしても諸団体にしても女人禁制を話題にして、不愉快な議論になる可能性がある場所に観光に行こうと思うだろうか。万一、地元で対立や混乱が起こっていたり、私のように反対意見を述べる者がいることがわかっていたりする地域は行楽の対象に選びたくなると思えない。
世界遺産に登録されると観光客が増え、自然が破壊されるという前例がすでにあると聞いている。自然や文化を保護するためには、むしろ世界遺産にならない方が望ましいのではないか。
2 考古学者の吉村作治氏が熱心に登録申請をすすめた経緯がある。また現在では推進運動の主体は福岡県に移っていて、地元はあまりすることはない。
吉村氏はすぐれた考古学者だが、テレビなどの発言で見る限り女性の立場や権利について深く考えている人とは思えない。福岡県も同じだが、このようなことによって起こるさまざまな問題は、結局は地元の自治体と市民が背負い込むことになるのであって、吉村氏や福岡県にその責任をとってくれと言っても無理なことだ。この問題はあくまでも、地元で「住みよい宗像市」を作るためにどうするのがいいか市民が主体で考えないと、外部や上部の人たちは誰も痛みをわかってくれることはない。