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沖ノ島の世界遺産登録について(4)

3 相撲や山笠、女子大など男女のどちらかを参加させない場所は他にもある。特に祭りや信仰の場では伝統の大切さを考えなくてはならない。

 伝統だからとすべてひきついで守るのなら、インドで持参金が少ない女性が婚家の一族から焼き殺されるのも、アフリカの一部の地域で女児の性器が切断されるのも長年続いている伝統である。すべてを廃止するのと同様に、すべてを継続するのも正しくはない。何を変え、何を変えないのかは、ひとつひとつの事例について検討していかなくてはならない。

 女子大については、むしろ女性が男性中心の社会で与えられない役割を体験させるためという目的もあり、女人禁制の場合の逆の例としてあげるのは適当でない。
 山笠などの祭りについては、伝統を維持していくことの大切さもある一方で「男性なら参加しなくてはならない」ということが男性の方にも負担となっていることも考えなければならないだろう。
 そして、これらはいずれも、個人がそれを認めて参加するかどうかの選択はある程度可能である。宗像市の世界遺産は市民である以上誰もが、経済的にも精神的にもそれを認めて支持することが求められる点で、それらの場合とは異なる。

4 それほど行きたい場所でもないし、女性がそこに行けないからと言って女性に(男性にも)何か具体的な弊害や損失があるだろうか。

 一番困るのは、学校や家庭の教育の場で、「女が、女というだけで行くことを許されない場所がある」ということを、どのように小さい子どもに教育し説明するかということだろう。「男と女はちがう」「男女に限らず、人間は生まれながらの自分にはどうすることもできないことで、行けない場所やできないことが決められる」という考えは、これまで教育の場や市政の場で教えるべきとされたことと、まっこうから対立する。それは家庭や職場や地域での男女の役割分担を認め、おしすすめることに、つながらざるを得ない。

 どうしても教えるとすれば、「女人禁制はまちがっているが、その内になくなるだろうし、そうしなければならない」と言うしかないだろう。しかしそれは、地元の文化財で皆に愛されるべき宗像大社の否定や批判を子どもの内から教えることに他ならなくて、これも望ましいことではない。

 また、あらゆる場所での女人禁制は「今の社会体制なら、それでも充分やっていける」ということを暗黙の内に基本にして成り立っている。たとえば、医師、刑事、自衛隊員、消防隊員、警察官、世界遺産の鑑定員、さまざまな公務員や役職者、すべてが圧倒的に女性が多く、男性が少ない事態は将来においてあり得ないことではないし、女人禁制を守っていたら、さまざまな非常事態に対応できないという事態は、小さい自治体では将来起こりかねない。
 逆に言えばそうなったら女人禁制は自然と廃止されるのだろうが、私が気になるのは、まだそんな事態にほど遠い現状で、宗像市と市民が公的に認め、支援する女人禁制の場所が存在することが、今の現状を固定し、女性のそういう職種への進出を妨げる一因になりかねないということだ。

 たとえばの話、限られた予算で警察官や消防署員や自衛隊員を一人だけ採用するとき、「女人禁制の場所にも行ける」男性と、「女人禁制の場所では活動できない」女性が同じように優秀で適格であったら、どちらが採用されるかは明らかだ。こうした目に見えない影響の大きさは、はかりしれないものがある。

5 市が宗像大社を説得して、女人禁制を一部でも緩めるなどの措置を認めてもらうことはできないのか。

 今回の件は、宗像大社が積極的であったわけでは決してなく、むしろお願いして無理を言って申請を認めてもらった経緯があるようだから、それはまず無理だろう。宗像大社としてはそんなことを要請されたら、とても困るし迷惑だろう。私は女人禁制は認めないし不快だが、そういう人間のいることも承知して静かに伝統を守ってきた宗像大社の立場はわかるし、そんな要求をされては本当に心外だと思う。どのみち、この話が進んで行けば、宗像大社もさまざまなことで傷つくだろうし、私もこのような批判をしなければならなくなり、地元にとって大変に不幸なことだ。

 また、これも公表されていないが、世界遺産の登録は申請だけでも莫大な費用がかかると聞いている。そんな財源を使ってまで、これだけ地元を不幸にしかねない計画を推進することにどれだけの意義があるのだろう。その予算を地元の活性化に使う方がはるかに有効だろう。宗像市はそんなに行き詰っている自治体でもないのに、なぜこのようなある意味原発誘致なみの危険な計画が地元にとって必要なのか、私はどうしてもわからない。 (2012.7.1.)

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カツジ猫