泣く直前の女(続き)。
(えーと、前のに続けます。)
◇何一つ彼女の説明にも弁明にも言ってることにも、納得も共感もできませんでした私。あ、含む弁護士さんの話。
細かく言うときりがないし、どうせあっちこっちで言われてるだろうから、もうしぼりにしぼりあげて一つだけ言うと、「結論は正しいから、途中の手続きの不備はしょうがない」と言わんばかりの、全体の姿勢がもうむちゃくちゃでしょ。論文とか研究とかいう次元の問題でさえなく。ほとんど日常生活の次元でも。おまえが犯人だとわかってるから証拠はいらんと言われたら恐いよ、ふつう。いくらほんとに犯人でも。
こういう論理が出てくるところがもうすでになー。まあ弁護士はめちゃくちゃ言うもんだとは私も知ってるけど。
写真をさしかえたのは「わかりやすくするためだった」と、まるでそういう動機だったら許されるかのような話が進むのも恐かったなー、いろいろと、マジで。それもまた、結論が正しいんだから、それをわかりやすく説明するために証拠をおきかえます、って理屈よな。でも、証拠で結論を証明するんでしょうが。それおきかえたら何にもなるめーもん。
蛇がおのれのしっぽをのみこむような、こんな論理が日本国中で皆にふんふんと聞かれてるのかと思うと、もうほっとんど自分は今どこにいるのかと思うわな。これって「ふしぎの国のアリス」か「キャッチ22」か、カフカの「審判」の世界じゃないのさ。
◇たとえば、どっかの国の政府や軍隊が、市民を大量虐殺したという動かぬ証拠があったとするわな。ポルポトでも南京でもソンミでもカティンの森でもルワンダでも、まあもう何でもいいけど。
その結論はたしかにたしかで、もう動かない。だからって、それを第三者や世界や後世に伝えて説明するのに、「この写真はちょっとわかりにくいから」「この資料はちょっと数字が少ないから」「この証人はちょっと頼りないから」って、同じ政府や軍隊がよそでやった虐殺の写真や資料や証人と入れ替えるか? そして「いいじゃん、やったことは間違いないんだから、ここと同じことをあそこでも」とか言うか? それは参考にはなるけど証明にはならない。小説やエッセイや宗教にはなるけど、証明にはならない。
今回のこれって、それと同じことじゃないの、どう考えても。私にはどこがちがうかわからんのだけど。
◇あとはもう、ひたすらただもう不愉快なことば遊びと安い芝居が続くんだけどな、あの会見。まあくりかえすが私は、そんな安っぽさや不愉快さで判断を左右されてはいけないと、せいぜいがんばったんだけど、それにしてもなー。
これも一例だけ。「あなたは未熟で不勉強で常識がないと自分で言われるけど、そうやって既成のやり方ではなくいろいろやってきたことが、今回の常識では考えられない(素晴らしい)発見につながったという思いはありませんか」(この通りのことばではないけど、だいたいこういうこと)みたいな質問に対して、彼女が答えたのが「いろんな未熟な点や不勉強な点は多々あったけれども、だからこそSTAP細胞に辿り着いたんだと思いたい、という気持ちは正直ありますが、今そのように考えるのは謙虚さに欠けるし、やはりそう思いたい自分と、そうではいけなかったんだという自分が混在しております」って、「謙虚さに欠ける」「そうではいけなかったんだ」と言いながら結局、しっかり言ってるやんね、「という気持ちは正直ある」「そう思いたい自分もいる」って(笑)。ごちゃごちゃ目くらましをしながら結局はとてもしぶとく、言いたいことは言うのよね。逃げを打ちつつ既成事実を作る、もうほんとに初歩的な小手先の手練手管のテクニック。全会見がこの調子なんだけど、アホらしすぎて、幼稚すぎて、低級すぎて、参考にもならん退屈さ。
◇しかしまあ、この人はもういいとして、こういう人を採用して放置した理研の方がいっそ理解に苦しむなー。そういう点では、この人がこうして自分をさらすことは何より理研への攻撃にはなるよなー。わかってやってるとは思わないけど、ほとんどこの人、理研の水準を世の中にしらしめるリーサル・ウェポンじゃあるまいか。
もっともネットではこの人への同情、支持もけっこうあるみたいで、まー、女をバカにしたりネタにしたりしてる人はともかく、まじめに受け入れてる人も多いのには、ちょっと口をぱかんと開けたくなる。つい感想を聞きたくなって、いろんな人にたずねてみたけど、私のまわりじゃそもそも「あんなの見る気にもならなかった」って人が多くて、あんまり感想聞けないのよな。多分私もこれっきり、もうこのこと二度と話題にしないと思う。で、口直しと洗眼のため明日はほんとに、ショッピングするかごちそう食べるか、お洒落な映画でも見て来ようっと。