消えない記憶
もうすぐ11時2分。長崎に原爆が投下された時刻。
私の一家は、もともと長崎出身で、親戚も多くいました。大分に住んでいた私の祖父母の一家は誰も被爆しませんでしたが、親戚では亡くなった人も多く、長崎の活水学院に学んでいた母や叔母の下宿のおじさんおばさんも亡くなられたらしいです。残っている祖母の手紙を読むと、母たちは何度か下宿を移っており、犠牲になられたのは、どのお宅なのだろうとふと考えたりします。
上の「断捨離狂騒曲」に登場している、長崎から遊びに来た幼い少年二人も亡くなりました。母が話してくれたのですが、長崎の親戚のおじさんの誰かが、「○○は、赤ん坊の上にかぶさって抱くようにして死んどったげなたい」と語っておられたとか。二人の少年のどちらか一人は、まだ赤ん坊だった弟か妹を守って死んでいたのでしょう。
そんな話はきっと山ほどある、千や万の単位で語りつくせないほどある。
私は戦争体験者や被爆者が高齢化して、戦争体験が伝えられなくなる、薄らぐという危機感や焦燥感が、白状するとまったくわからない。家族の話や本の中で、戦争も軍隊も原爆も、いつも肌で感じて、焼きつけられて記憶させられてきました。毎日料理をしてフライパンの油のはねで感じる熱さえも、「ああ、このくらいじゃすまない熱さだったんだろうな」と思わずにはいられないほど、いつも死や苦痛や絶望を身近に感じています。
当事者が消えたからって、これが薄らぐなんて信じられない。どうやったら忘れられるんだろうと思う。体験してもいないのに、どっか変かもしれないけれど。