1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 片づけモード

片づけモード

昨日は朝から何だか片づけモードに入ってしまって、上の家や下の家のこまごました雑貨を整理していました。と言うてもですよ、私の場合、こういうことをすると、超つまらんことで時間をつぶすだけで、見た目はむしろ散らかるんだよね。だって昨日なんか、けっこうだらだら時間をかけてやったことと言えば、余りまくってるシールを、去年のカレンダーを切った紙に貼って、私製のしおりを山ほど作ったことだもん。まあ、それは、読みまくっている文庫本のしおりが、いつも見つからなくて、イライラアセアセするのに業を煮やしたってこともあるんだけど。新潮文庫だっけ、今どき文庫本にひものしおりをつけてくれているのには、もう感動して、死ぬまでついて行きますとか口走ってしまいそうになる

とにもかくにも、しおりがあろうがなかろうが、今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』とか篠田節子の本とか、面白いけどけっこう無気味で気分が鍛えられる文庫本をたてつづけに読み飛ばしていた。精神のトレーニングにはなるけど、いろいろと。そして今村さんの本などは、むしろ読者の感想を見ると、皆がこの恐い世界をいとも健全に咀嚼して楽しんで前向きに幸せになってるのに驚いて、人類のというか皆さんの鈍感さ(ほ、ほめてます)やたくましさに変な感銘を受けてしまう。

今はまさきとしかの『あの日、君は何をした』を読み始めてる。なかなか中断できないほど面白い。今村さんや篠田さんのように、ひそやかに容赦なく心のひだをえぐって来るのとはちがう、安定と力強さがあるので、疲れないで助かるっちゃあ助かる。
とは言え、リアルな切なさはしっかりある。(ちょっとネタばれ)母親がいなくなった子を悲しむあまり、残った子を粗末にしてしまうのは、理解できるし、よくある設定なのに、なぜか胸にこたえて、かつて愛猫キャラメルを失ったあと、のたうち回るほど努力しても、どうしても残った一匹の白猫ミルクを愛せなくて、田舎の母に預けてしまって、そのまま行方不明になったことを連想してしまった。

あの時私は、友人知人の数人の「残ったミルクをキャラメルの分もかわいがってやって下さい」ということばに神経をずたずたにされて、結局それでミルクへの憎しみがつのったのだと思い、そう言った人々を一人残らず憎みさげすみ恨んでいた。たしかにそういう要素もあったとは思うけど、その人たちのことばがなくても、もしかしたら私はやっぱりキャラメルのいなくなった悲しみと淋しさの中で、ミルクを愛せなかったのかもしれないと、ほんとに初めて考えた。考えなかったわけではないかもしれないけど、それが実感をともなった。

近所のおうちの庭では、梅の花が咲き始めてるのに、うちの庭のはまだつぼみ。赤ちゃんの成長をよその子と比べてカリカリしてるお母さんの気分が、ちょっとわかったりする。

あいかわらずNHKのラジオを入れっぱなしてるので、ニュースが耳に入って来る。私はロシアもプーチンも、ちっとも好きじゃないし支持もしないが、最近ロシア軍がウクライナの国境近くで軍事演習をしてるのを、アメリカはともかく日本まで連日ニュースで大騒ぎしてるのを聞くと、それだったら韓国や米軍と日本の自衛隊が日常的にジャカスカ大規模な軍事演習してるのも、もう少し騒いでもかまわんのじゃないかとは思う。少なくとも中国や北朝鮮がビリビリカリカリするのも、そりゃ無理がないとは思う。

Twitter Facebook
カツジ猫