猿の手
「ミラーズ・クロッシング」の感想を映画感想の欄に移そうとして、つい「アナと雪の女王」の感想(というか猛烈な悪口)を読み直してしまって、変な時間をとった。まあ言っていることは今もそうだと思うけど、よくもこう長く書いたよなあ。
しかも私、この悪口を書くために、この映画三回も見直しに行ってるんじゃないの。何という執念だ(笑)。このころは、まだ時間があったのか、体力があったのか。未来は無限と思っていたかな。
最近、頭の柔軟体操のために、安倍晋三のいいところも少しは探してみようかと思って、やっと見つけたのが、あのマスク、他の閣僚は一人もつけていないのは、少なくとも周囲に「つけろ」と強制してはいないのだから、まったくのファシストというわけでもなさそうじゃん、ということだった。
そうしたら、自分の学校の生徒に、あのマスクをつけないといけないと強制した、ただもうバカすぎるとしか言いようのない校長がいたとかで、こういうファシストの見習いが、あちこちでわいてるのだなと思うと、せっかくの安倍晋三を見直そうという気までなくなった。
しかも、このことをツイッターに書いた保護者のアカウントが凍結されたそうで、前からいろいろ言われているけど、ツイッター社もたいがいどうかしてないかい。
そして、SNSでくだらん悪口書くやつを取り締まろうという動きが出て来たのはいいが、政府がそういうことしたがってるというと、絶対言論統制の管理社会をねらってるだろうと皆が心配になるのも無理はない。
悪気とか何とか言うより、この内閣の人たちって、もう何かする時にそういう発想しかできないように頭の初期設定が作られているとしか思えないもんなあ。
怪奇小説の古典で誰もが知ってる(かもしれない)「猿の手」という名作短編がある。猿の手を日干しにしたような変な棒みたいなのに願いをかけると、まちがいなくかなうが、それに付随してものすごい災難が起こるという話で、私の恩師の故中野三敏先生は、あらすじを聞いて「それのどこが恐いんだい」と言っておられたが、まあそれはいい(笑)。
今の政府の施策って根本的に皆これだもんな。親切や好意かと思うと絶対にもらった人を苦しめるシステムが何かついて来る。それで文句を言うと「へー、いらないんですか、そっちがそう言うのなら」みたいな顔をして渡さない。善意ということばを知らないのかと思うほどだ。
先日、髪のカットに行ったときに、美容師さんとこの先の世の中についていろいろ話した。町中にある今の店をたたんで、少し離れた地域の店で仕事をすることになったそうだ。もちろん私はついて行くのだが。安心してカットをまかせられる美容師さんがいるのは人生の幸福のひとつである。
もう、繁華街に人が集まるということはなくなるのではないか、町の文化というものが消えるのではないかと彼は言っていた。これからは郊外の辺鄙なところにある美容室でも、腕がよければ人が来るみたいな、そういう風になるような気がする、と言っていた。
私は三密状態が基本的に好きじゃないので、これをきっかけに、そういう、ばらけた社会になってほしいと思うし、一昨日書いたような、一年中何かに皆が熱中してるおかしな状況はほんと、これを機会に終わってほしい。24時間開けっ放しのコンビニも、休日なしのデパートも、のべつまくなしやっているスポーツも、やめてほしい。それでも店主もスタッフも選手も皆がちゃんと暮して行けるような世の中にしてほしい。一年中仕事にレジャーに競争に、目の色変えて皆が走り回っていなくては成立しない経済は、そろそろやめてほしい。
ところで、それで思い出したけど、私が田舎に帰る道の途中にあった、田んぼの中のいやにおしゃれな雑貨屋さんは、あれは時代に先がけてたのだろうか。